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【百済伝説16】宮崎県が作ったビデオ

これまで百済王伝説のいきさつを書いてきましたが今回からはリアルタイムです。

宮崎県商工観光労働部観光交流推進局観光推進課が担当する「ひむか神話街道」は以前紹介させてもらいましたが、動画もありました。

http://www.kanko-miyazaki.jp/kaido/video/">④ 南郷区(美郷町)
http://www.kanko-miyazaki.jp/kaido/video/

約15分の動画の全文を書き起こしてみました。

ひむか神話街道
併合により南郷村は美郷町になっております。

宮崎県南郷村、山々が幾重にも連なりあたかも山水画を思わせる景観が広がります。
山間に広がる雲海が村里を荘厳な空気で包み込んでいます。
秋には鮎の泳ぐ小丸川に沿って進むとぬくもりと神秘的なたたずまいを併せ持つ山里が眼下に広がります。神門です。
この山里は数奇な運命を送った百済王一族の伝説とその御霊を慰める祭りを1300年余の間大切に守り継いでいます。
それではこの南郷村に語り継がれる百済王伝説の道を辿ってみることにしましょう。
(7世紀の朝鮮半島の勢力図)
西暦660年今の朝鮮半島に栄えた百済の国は新羅と唐に攻められ滅亡します。百済の禎嘉王一族は海を渡り日本の瀬戸内海の島に逃げ延びますが、より安全な場所を求め二艘の船で九州を目指すことにしました。片方の船には禎嘉王と次男の一行が乗り、もう片方には妃と長男福智王たちが乗り込んでいました。しかし二艘の船は不運にも時化にあい、荒れ狂う波と風に引き離され別々の浜に辿り着きます。
父禎嘉王を乗せた船は日向の国金ケ浜に、妃と長男福智王たちを乗せた船はそこから南の蚊口浦に着きます。
禎嘉王は追っ手から逃れるため険しい山々へと分け入りました。一方福智王一行も木城町の比木を住居にと定めるのでした。
安住の地を探す低下応一行は霧深い山中を当ても無く歩き続け山間の小さな神門という村里に辿り着きます。
高度な文化や医療の知識を併せ持つ百済の人々は村人やこの地方の豪族から篤く尊ばれるようになっていきます。
(神門神社に奉納されている馬鐸や馬鈴、銅鏡などの写真)
ある日のこと離ればなれになった妃と福智王たちが元気で暮らしていることが禎嘉王に知らされました。
しかし喜びもつかの間、王一族の所在を突き止めた敵軍が間近に迫っていたのです。禎嘉王は少ない人数ながらも敵を迎え撃つ準備に取りかかります。すると王を心から慕う豪族や村人たちも次々と援軍に加わりはじめました。一方長男福智王も近隣の豪族等の援軍を率いて神門へと向かい敵軍との戦いに加わりました。戦況は迎え撃つ百済王の軍が圧倒的に優勢でした。しかし、戦いが終わろうとしていたその時、無情にも一本の流れ矢が禎嘉王の急所を射抜きます。
この悲しい知らせは神門の全ての人々に届きました。そして禎嘉王の後を追うように長男の福智王をはじめ多くの百済王一族が自らの命を絶ちました。王族の死を心から哀れんだ村人は禎嘉王をはじめ亡くなった全ての人を手厚く葬ったということです。
南郷の村で尊ばれた禎嘉王はその後村人によって建立された神門神社の祭神に祀られることになりました。
そして長男福智王は木城町の比木神社に祀られています。

南郷村神門の地にこの百済王伝説が語り継がれて1300年余、神門神社から伝説を裏付ける数々の宝物が発見されました。
神門神社の隣にたたずむ西の正倉院、奈良の正倉院と寸分違わず建てられたこの宝物庫には神門神社から発見された王族の遺品を思わせる驚くべき遺産が数多く展示されています。遥か昔、大陸から渡ってきたといわれる総数24もの銅鏡。その中のひとつ、唐花六花鏡は奈良の正倉院所蔵の銅鏡と同じものです。

この百済王伝説のもうひとつの証しとして1300年余の長い間守り継がれる祭り、師走祭りの存在があります。
父禎嘉王の御霊を祭る神門神社と息子福智王を祀る比木神社。この師走祭りは離ればなれに眠る王族の御霊を慰め禎嘉王と福智王が年に一度の再会を神事とする祭りです。90キロも離れた南郷村の神門神社と木城町の比木神社が3日をかけて合同で行うという大変珍しいものです。
遠く百済の国を逃れこの地に暮らした禎嘉王一族。その一族にまつわる数々の遺品と伝説には歴史のロマンと謎が秘められています。
そして離ればなれに眠る親子の御霊を慰め1300年という長い間守り継がれてきた師走祭り。そのどれもが村の貴重な財産です。
この百済王伝説がこれまで大切に語り継がれてきた理由は南郷村の人々の人情の深さと時を超えた深い絆を大切にする心の豊かさに他なりません。
(韓国の民族舞踊)

ぶらり旅 南郷村
百済王伝説の伝わる南郷村は百済の里とも呼ばれ韓国との国際交流も盛んに行われています。
村を一望することが出来る恋人の丘には韓国の百花亭が再現され、両国の友好の証しとして絆の鐘が取り付けられています。
恋人が愛を誓う絆の鐘を鳴らしに訪れます。
韓国と交流のある南郷村の名物といえばキムチ鍋です。山菜や椎茸、豆腐、餃子などと共に本場韓国と同じ製法によって作られたキムチを入れて煮込みます。その美味しさは訪れた韓国の人も納得の本格派。この地を訪れたら一度は食べてみたい一品です。

自然環境保全地域となっている樫葉原生林に囲まれた銀水の滝。落差80メートルに及ぶこの銀水の滝の眺めは周囲を囲む原生林の景観と相まって壮観です。
鬼神野溶岩渓谷。この警告は小丸川の上に当ります。1億2千万年前赤道付近の海底で噴出した枕状溶岩がフィリピンプレートの移動により約6千万年前にこの地に隆起して出来た国内最大級の溶岩渓谷です。

西の正倉院。
百済の館。
これらの資料館では百済王伝説を物語る文化財を見ることが出来ます。
古代の謎を秘めた南郷村。
異国の文化に触れてみてはいかがでしょうか。


高山彦九郎の寛政4年閏2月12日と19日の日記だけを元にここまで書いているのは驚きです。


高度な文化や医療の知識を併せ持つ百済の人々

倭国に王子を人質として出していたのに倭国より高度な文化を持っていたわけがありません。
実際、百済に高度な文化や医療があったならば百済の用語が残ってるはずですが皆無です。

山城の規模を比べても百済の都だった扶徐の扶蘇山城は周囲2.2kmですが
同時期の太宰府の大野城は全周8km、近くの基肄城が全周4.2kmあります。



南郷の村で尊ばれた禎嘉王はその後村人によって建立された神門神社の祭神に祀られることになりました。

明治4年の正祀は「大山祀命」だけでした。
明治45年に伯智王(禎嘉王)の合祀認可申請を出したのは日韓併合があったからです。
合祀の根拠は寛政4年(1792年)の高山彦九郎の日記だけであり、信憑性はありません。
【百済伝説13】師走祭調査報告書の検証まとめ 09 第4章 師走祭り関係史資料集

県の文化財を管理している人々は知らないのでしょうか。
知っていて嘘を書いているのでしょうか。



遥か昔、大陸から渡ってきたといわれる総数24もの銅鏡。その中のひとつ、唐花六花鏡は奈良の正倉院所蔵の銅鏡と同じものです。

唐花六花鏡については師走祭調査報告書P140に
東大寺鏡の類を原とした踏返鏡と考えられる。

とあります。
踏返鏡とは「原鏡から型を取り日本で鋳造した鏡」のことです。

唐花六花鏡を含め銅鏡はほとんど国産品です。なぜ嘘を書くのでしょう。
【百済伝説13】師走祭調査報告書の検証まとめ 05 第3章 特別寄稿


異国の文化に触れてみてはいかがでしょうか。

公共機関が自国の文化を冒涜するビデオを作っていることに憤りを感じます。


2011.09.30 「唐花六花鏡」について追記しました。

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コメント

[C7]

百済も新羅も倭国の属国だったはずなのに……
  • 2011-09-29 10:34
  • けんた
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  • 編集

[C8]

けんた様
コメントありがとうございます。
同意見です。

百済の墓からも新羅の墓からも勾玉がたくさん出土しています。
勾玉は縄文初期から日本にある日本固有の形です。

日本の形を身につけて葬られているのは本人が日本人(倭人)、
あるいはその国が属国の場合ですよね。
  • 2011-09-29 13:08
  • ざる
  • URL
  • 編集

[C9]

挨拶もなしの突然のコメントに返信までしていただき、ありがとうございます。
朝鮮半島の事を調べているうちに貴サイトを発見し、楽しく拝見させていただきました。

> 日本の形を身につけて葬られているのは本人が日本人(倭人)、
> あるいはその国が属国の場合ですよね。
まったく同感です。

最近半島に関する無茶苦茶なニュースばかり飛び交っていますが、近隣諸国の者として正しい歴史を少しでも知っておきたいので、貴サイトの記事のような情報は大変参考になります。
ありがとうございます。
  • 2011-09-30 00:14
  • けんた
  • URL
  • 編集

[C10]

けんた様
>最近半島に関する無茶苦茶なニュースばかり飛び交っていますが、近隣諸国の者として正しい歴史を少しでも知っておきたい

同じ思いで7月21日からブログを始めました。
コメントをいただけてうれしいです。

個人の力は小さいですが
同じ主旨のブログやシンポジウムやデモにも参加して
偏向報道、偏向教育をなくしていきたいです。
これからもどうぞよろしくお願いします。
  • 2011-09-30 15:21
  • ざる
  • URL
  • 編集

[C26]

はじめまして。
一連の試み、非常に興味深く読ませてもらいました。
ところで現地には行ってみましたか?
この偽史の問題の解決には現地との協力が不可欠だと思います。

また 、この一連の伝説の成立過程は、むしろ現代史としても有用で、論文にまとめる価値があると思うので、
現地の郷土史家と協力してみるのもいいんじゃないでしょうか?
  • 2012-07-19 18:31
  • 景明
  • URL
  • 編集

[C27]

景明様
コメントありがとうございます。
コメントをいただいてブログを初めてよかったと思う次第です。

問題の発端は美郷町の町おこしであり、美郷町の方が百済伝説を取り上げて韓国扶餘に調査団を派遣したことです。
日本の学界やマスコミは韓国におもねる風潮が強く、そういった専門家や報道の責任も大きいと思いますが、地方自治体にも責任はあり、結局日本人全体の責任だと思って書きました。

>ところで現地には行ってみましたか?
>この偽史の問題の解決には現地との協力が不可欠だと思います。

現地、美郷町には【百済伝説01】発端 にも書いたようにまだ行ったことがありません。
一連の書き込みをした後、宮崎で百済伝説を紹介するブログを書いている方数名に、ページのどこかに「史実ではなく伝説です」と付け加えてもらえるようメールしました。
反応は今一でしたが、問題の解決は地元の方にしか出来ないと思っていますので、ぜひ地元の方に頑張ってもらいたいです。

ブログにも書きましたが美郷町役場の対応は誠実でした。
役場の方が中心となって偽史を払拭するに違いないと期待しています。

数年前に百済の里に行った方の話を聞くと「韓国の物産品(キムチとか高麗人参など)をあちこちで販売していた」そうです。
また、津川雅彦氏ブログのコメントにも興味深いものがありました。
http://www.santanokakurega.com/2010/07/post-147.html#comment-20515

わたし自身、やれることはたくさんあるのですが、基本怠け者でお恥ずかしいです。
コメントいただけたのを機にもうすこし頑張ってみたいと思います。
ありがとうございました。
  • 2012-07-19 23:11
  • ざる
  • URL
  • 編集

[C74]

はじめまして。
宮崎県に住む者です。

百済伝説で南郷がやっていること、恥ずかしい限りです。
韓国のファンタジー歴史捏造のお手伝い。
韓国人に利用されているとしか思えません。

[C75]

宮崎県在住の方からのコメント、ありがとうございます。
お礼が遅くなりました。

宮崎県だけでなく、
全国の地方自治体が多かれ少なかれ抱えている問題だと思います。

恥ずかしいなどとんでもないです。

数年前に比べると情報のバイアスに気づく日本人が増えているように思います。
「余命三年時事日記」の書籍化も心強いです。

気づいたからといって個人が何かするのは難しいことです。

しかし気づけば利用される事がなくなりますし、
そういう人が増えれば良いと思っています。


宮﨑は神武天皇の故郷、天武天皇の故郷、日本の原点と考えています。
ややトンデモかもしれないですが、今後ともどうぞ宜しくお願いします。
  • 2016-01-13 13:04
  • ざる
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