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竪穴建物 01 黒井峯遺跡

【黒井峯遺跡】
群馬県渋川市にある6世紀の集落遺跡(国指定史跡)。10km離れた榛名山二ツ岳の噴火によって,一瞬にして埋没した。厚さ2mの軽石層下から,平地式住居,竪穴式住居,道,柵に囲まれた畠,作業場などが発掘された。


百科事典マイペディアより 

黒井峯遺跡全体図
黒井峯遺跡構全体配置図(図説 日本の歴史10 群馬県の歴史 河出書房新社 1989年)


わたしの生家は農家で子供の頃の敷地内には母屋、倉、蚕室(風呂)、納屋、豚小屋、鶏小屋、厠などがあり、黒井峯遺跡のように垣根や塀、せぎ(用水路)で囲っていました。敷地面積も同じぐらいです。

インドネシアで農家の敷地内を見学した時、日本の農家と似ているなあと思いました。
http://album.yahoo.co.jp/photos/1194655/3711377/in/my/90882/
http://album.yahoo.co.jp/photos/1194655/3711561/in/my/90882/


黒井峯遺跡の配置図を見てなるほどと思ったのは囲いの外に竪穴建物があることです。

わたしは縄文時代からあるいわゆる「竪穴住居」といわれているものは住居ではなく
薫製小屋や食物倉庫、あるいは台所だと考えています。

薫製作業は煙たいし臭いです。
生活空間から少しだけ離れたところに置くのは理にかなっています。

ところが専門家はそのように考えていないようです。
平面図の囲いから外れた竪穴建物遺構が囲いの持ち主の住居だというのです。

黒井峯遺跡構全体配置図が載っていた図説 日本の歴史10 群馬県の歴史 河出書房新社(1989年)P64~65 には以下のように書いてあります。

>大竪穴住居の居住者は、集団を掌握していたムラオサ的存在の人であったのであろう。…(中略)…平地住居は、竈のある家とない家があり、あっても粗末なものである。…(中略)…彼等は、もっぱら労働に従事していた奴婢的な階層であったのであろうか。<


しかし囲いの中の倉庫と一緒に農奴とその家族を住まわせ、主人は柵の外の暗くじめじめした竪穴建物に住んだというのはナンセンスです。

日本の夏は湿気が高いので穴の中はカビだらけになってしまいます。
ならば冬快適かと言えば北海道のアイヌの家はチセという平地建物で大変温かいそうです。
チセについては項を改めて書きます。


遺跡の竪穴建物が住居ではなく薫製小屋あるいは食物倉庫だったら古代史観が変わります。
縄文・弥生人口が大きく変わります。


《2012.02.04 追記》
ヤフーフォトサービスの終了でインドネシアで農家の敷地内の写真がリンクが切れた。
その写真はインドネシアの旅(2007年)の12日目
インドネシア 12】ロンボク島マタラムに載せた。




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