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【百済伝説05】NHK・謎の百済王伝説

美郷町役場から紹介してもらった「NHK歴史発見15 九州山地・謎の百済王伝説」(角川書店 1994年発行)の感想と新たな質問をメールしました。
前回と重複する部分もありますが転載します。


差出人: xxxxx@xxxxxxx.ne.jp
件名:  「百済の里」について返信ありがとうございました
日時:  2010年8月23日 14:18:46:JST
宛先:  xxxxxxx@xxxxxxx.lg.jp



美郷町南郷支所企画情報課 xxxxxxx様

返信ありがとうございました。
ご紹介いただいた角川書店発行の「NHK 歴史発見 15」が最寄りの図書館にあったので早速読んでみました。

金達寿氏が解説していますが、氏は学者でないだけでなく偏った歴史観を持つ方です。【A】
金達寿氏を起用したNHKの見識を疑わざるを得ませんし、この本にインターネットで知った以上の情報はありませんでした。

多くの仮定をもとにした憶測に加えて以下のような明らかな間違いもありました。
27ページに鬼室神社について書いてありますが、本来朝鮮半島とは関係ない神社です。【B】
鬼室神社を論拠の一つにしているのは由々しき問題だと思います。

以上、本の感想でした。



百済王伝説についてですが。

百済王伝説については、古事記・日本書紀・三国史記等の文献にはご指摘のとおり記述はなく、その他根拠となりえる史書はないと聞いております。



「比木神社縁起」は根拠となる史書ではないのでしょうか。

ご紹介の「NHK 歴史発見 15」9ページに「比木神社縁起」の写真があり以下の説明がありました。【添付
「比木神社縁起」の記述からは、禎嘉王親子が女官や従者とともに日本に来たことがうかがわれる

しかし写真に見える範囲に禎嘉王親子の名前が見当たりません。
どこかで「比木神社縁起」の全文の写しを見ることは出来るでしょうか。

今検索すると「比木神社縁起」より古い「旧記」があるとのことですが、こちらもどこかで写しを見ることが出来るでしょうか。

元禄9(1696)年、新田村(新富町)の神官井上良光(よしてる)が書写した「旧記」は次のように述べている。
http://www.pref.miyazaki.lg.jp/contents/org/chiiki/seikatu/miyazaki101/shinwa_densho/041.html



また、9泊10日の師走祭りの件ですが、年長の方々に聞いたところ、昭和30年代ぐらいまでは9泊10日の日程で行われていたとのことでした。諸事情やご時世的なものもあり、今のような形(2泊3日)になったとのことです。



10日間も続く祭りは全国的にも珍しいのではないでしょうか。
そして昭和30年代でしたら写真をはじめ多くの記録があるのではないでしょうか。

前回のメールでも書きましたが、師走祭りの最古の資料を教えていただきたいと思います。


さらに「益見太郎塚(ドンタロさん)」についてお聞きします。
先にあげた「みやざきのの神話と伝承41 大年神と比木大明神縁起」にもあるように
益見太郎は百済王伝説を調べていると出てくる名前ですが「益見太郎塚」のタテカンを見ることが出来ました。
http://www.unity-design.jp/takeshita_kiji/nakayamasi-angya/angya11-0712-1/angya11-0712-1.html

「益見太郎塚(ドンタロさん)」が県の文化財に指定されたのは昭和11年7月だそうですが、
昭和11年(1936年)というのは第二次大戦の前であり、師走祭りが9泊10日の日程で行われていた時期と重なるのではないかと思います。

県の文化財というからには学術調査がされ記録も残っているはずです。
考古学的には何世紀の墓なのか、「益見太郎」というなまえの最古の資料は何か教えてください。


しつこいことを書いて申し訳ありません。
しかし調べれば調べる程疑問が大きくなります。
資料による根拠を示していただければ納得できますのでどうぞよろしくお願いします。



【A】
呉善花・崔吉城『これでは困る韓国』(1997年,三交社)
「とんでないまちがいが本気で信じられているいい例の一つに、日本でお祭りなんかで使われる「ワッショイ」という言葉が、韓国語の「ワッソ」(来た)からきたものだというのがあります。
いったい、なにを根拠にそういうことになっているのかわかりませんが、これはまったくまちがっているんです。だれが最初にそう言ったか調べてみたら、この前亡くなられた在日の文学者の金達寿さ んでした。それ以後、韓国の学者や在日の学者が堂々と本に書いたりしているんですね。 しかし国語学者では、日本人でも韓国人でも認める人はだれもいませ ん。そもそも、15世紀にハングルが作られる以前、朝鮮では漢字漢文で全てが書かれていたわけだから、その当時(高麗時代以前)の朝鮮語がどんなもので あったかは、ほとんど解明されていない。(中略)高麗時代の朝鮮語でさえ曇りガラスを通して見ているようなものなのに、古代朝鮮語の姿などは、月も出てい ない闇夜で物を見ているのに等しいくらいに分かっていないのある」

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4879195707

【B】
鬼室神社
 明治以前は不動明王を安置する不動堂、明治維新以後西宮神社として訶遇突智命を祭神としていた。昭和三〇年に鬼室神社と改称、鬼室集斯を祀った。

 鬼室集斯は『日本書記』天智天皇八年(669)「佐平余自信、佐平鬼室集斯等男女七百余人を以て近江国蒲生郡に居く。」とある。鬼室集斯の墓と称する石柱が本殿背後の石祠の中に納められていると言う。石柱は元々何も掘られていなかったが、いつの間にか正面に鬼室集斯墓との銘文がある。文化三年(1806)頃のどうやら郷土史に興味を持つ開業医の仕業のようだ。
 それ以前には人魚の墓とされていたようだ。『日本書紀』推古天皇二十七年(618)「近江国言さく、蒲生河に物あり、其の形人の如し」とあり、これに比定されていたようだ。鬼室集斯とは一切関係のない神社である。

http://kamnavi.jp/en/oumi/kisitu.htm

比木神社縁起


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