Entries

【鬼室神社07】鬼室集斯小伝_1

鬼室神社の改名由来をお聞きした滋賀県蒲生郡の日野観光協会から送っていただいた小冊子

 新日野新聞社創刊四〇執念記念誌
 日韓友好親善のための
 鬼室集斯小伝  瀬川欣一著 

を検討します。

A5版 51ページの小冊子です。
古代の日本と朝鮮半島の関係を大変わかりやすく解説しています。
ただし「百済の方が文化が上」な歴史観での解説です。

■小冊子を書いた人の視点
最初にドキッとしたのはこの表現です。
何しろ冬になれば、流れる川も厚い氷に覆われてしまう厳しい自然環境から見れば、一年中の気候が穏やかな日本の風土は、まるで桃源郷のように思えますので、舟に乗れば数日間で渡れる海の向こうの大きな島へ、次から次へと半島の人々が渡って行きました。<(P4)

渡って行きました。???
日本人なら「渡って来ました」と書かなければヘンです。


次から次へと半島の人々が渡って行きました。???
故国の自然が厳しく、桃源郷のような列島に移住できるなら故国の一族が大挙して押し掛けてくるはずです。
そうなれば原住民は追いやられ、言語をはじめ文化文明は渡来者のものになります。
南北アメリカ大陸やオーストラリアがよい例です。

日本に半島からたくさんの人が渡来した事実があるならば中国の史書に書いてあるはずです。
しかし中国の史書に無く、日本語と韓国語は全く違います。

現在の日本人が日本語を使っているのは半島からの渡来者が少なかったからです。

学者の中には「新羅語が韓国語に、百済語が日本語になった」というがいます。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%91%E5%AE%B9%E9%9B%B2
百済語が残ってないのをいいことに言いたい放題です。


■百済の王子豊璋について
頭脳明晰な王子であり…(中略)…日本には無かった新しい技術を自らが実施していきましたので、この王子が朝廷内にいたために、大陸の先進文化が多く日本へ伝えられたのだろう、とも言われています。<(P9)

百済が唐に滅ぼされた660年、百済の王子豊璋(扶余豊璋@wikipedia)は人質として倭国にいました。
10歳頃から40歳頃までの30年間倭国の人質だった豊璋は、百済再興を願う鬼室福信の働きで半島に帰り百済王となりましたが、自分を王にした福信を殺し、白村江の戦いに負け高句麗に逃れ、高句麗も滅ぼされると唐に連行された情けない人です。「頭脳明晰な王子」であるわけがありません。


大陸の先進文化が多く日本へ伝えられた???

同時代の隋書が「新羅や百済は皆、倭を大国で珍物が多いとして、これを敬仰して常に通使が往来している。(隋書@wikipedia)」と書いているのになぜこういう歴史観を持ち続けるのか不思議です。

こんな情けない隣国百済を助けるため兵5000と軍船170艘を与えた7世紀の倭国が明治以降の日本と重なるような気がしてなりません。




.
関連記事
スポンサーサイト



この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
http://zaru3386.blog.fc2.com/tb.php/67-e50816a7

トラックバック

コメント

コメントの投稿

コメントの投稿
管理者にだけ表示を許可する

Appendix

プロフィール

ざる

Author:ざる
ganko*k8.dion.ne.jp(*→@)
リンク・引用:フリー(連絡不要)
書籍やネットからの引用文は
緑色にしています。

アップ後1ヶ月以上経った記事の変更は追記にしますが、アップ後数日の記事はことわりなく修正する事が多いです。

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード

QR