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弥生時代の人口(2)

現在の中国と日本の人口比が約10:1だというのは知っていました。
ある時、18世紀の中国と日本の人口比も約10:1なのに気がつきました。
それで他の時期についても調べると8世紀は約7.6:1でした。

だったら2世紀も10:1ぐらい、と考えていいのではないでしょうか。

2世紀の中国は約6000万人ですから、日本は約600万人が妥当です。
http://www.geocities.jp/cato1963/jinkou996.html

朝鮮半島の人口はどうだったでしょう。

日本列島の人口が60万人だった紀元前後、朝鮮半島の人口は180万人だそうです。
朝鮮半島の180万人というのは漢書にある楽浪郡、玄菟郡の戸口数をもとに推定したものです。
一方、日本列島の60万人というのは小山修三氏が遺跡分布から推計したものです。
(「世界歴史人口推計の評価と都市人口を用いた推計方法に関する研究」より)
http://www.linz.jp/worldpop/jp07/appendix1.html

しかし遺跡数が桁違いに多く面積も広い日本列島の人口が朝鮮半島の1/3というのは変です。
中国の人口の1/10である600万人のほうが現実的です。

そして弥生時代に600万人いたなら、3世紀の畿内は邪馬台国ではあり得ません。
畿内以西を治めていた邪馬台国が35万人であるわけがないからです。
北部九州(自説では太宰府)の邪馬台国が35万人であれば日本列島全体で600万人は頷けます。

3世紀に600万人いたなら古墳時代の渡来人は必要ありません。


上に引用した「世界歴史人口推計の評価と都市人口を用いた推計方法に関する研究」
をもとに表にしてみました
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
____|____現在___|__18世紀__|__8世紀初__|__1世紀___
中国__|_130000万人|_30000万人|__5300万人|_7000万人
日本列島|__12700万人|__3000万人|___700万人|__■■■万人
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
____|____現在___|_1910年__|_19世紀初__|__1世紀___
朝鮮半島|___7273万人|__1312万人|___756万人|__180万人
日本列島|__12700万人|__5098万人|__2562万人|__■■■万人
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー



資料
wikipedia【近代以前の日本の人口統計】

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コメント

[C90]

中国との比率で人口を決めつけるのは、あてになりません。というのも、時々激減した歴史があるからです。とは申せ、オーダー的には合っていると思います。(根拠なし)200万人かそれより少な目であったと考えます。7世紀くらいになると、ある程度あてになる推測ができます。根拠として戦における動員率から、ざっくり推計する方法です。

[C91] ありがとうございます!

弥生時代の人口を推測する根拠は
「中国の人口の1/10である600万人」です。
根拠が弱いのは自覚しています。
別の強力な根拠があればその説に従うのですが・・・

7世紀以降については日本にも文字資料が増えますし世間の推測に同意しています。

「阿波はいの国だ」も見せていただきました。
ありがとうございました。

[C98]

紀元前8000年の日本列島に2万人の人口があったとして、諸説ありますが紀元800年に人口550万人となるためには、どの程度の人口増加率であれば達成できるか、表計算ソフトExcelを用いて推計してみたことがあります。
そうすると0.06%で達成できるということが分かりました。
明治元年の3000万人から1億人を突破した1966年までが1.2%ですから、その20分の1の増加率であることもわかります。
なお、この増加率では紀元1年の人口は334万人、邪馬台国の時代は380万人前後と推計できます。
海外からの大量渡来がなくても達成可能な点も1つのポイントです。
  • 2018-04-06 23:20
  • 通りすがり
  • URL
  • 編集

[C99]

こんな怠けブログにコメントありがとうございます。

戦前戦後の日本は7人兄弟8人兄弟も珍しくありませんでしたが今は1.45人です。

現在だけでなく江戸時代も人口調節(産婆の間引き)はありました。
アメリカインディアンも人口調節していたそうです。

日本とアメリカに限らず人口調節は隣の村や国と戦争をしないで付き合う「社会の知恵」だと思います。
ですから縄文時代から日本の社会は人口調節をしていたと思います。

そんなわけで邪馬台国時代の日本列島の人口について。
私の600万人という根拠は上記の通りで推測に過ぎません。
かといって歴史に「人口増加率」を当てはめるのはいかがなものかと思っています。

>海外からの大量渡来がなくても達成可能な点も1つのポイントです。

これはホントにそうですね!
紀元前後に大量渡来があったなら言葉とか風習とか痕跡があるはずなのに
縄文時代〜弥生時代〜古墳時代は緩やかに、・・・江戸時代〜明治時代よりはるかに緩やかに移行しています。
  • 2018-04-10 07:27
  • ざる
  • URL
  • 編集

[C102]

縄文晩期に人口が8万人にまで減った後、弥生時代までに回復したとしてよく引き合いに出されるグラフがあります。
www2.ttcn.ne.jp/honkawa/1150.html

このグラフの増減具合があまりにも急激なため、寒冷化による人口減少説や大量渡来説の根拠に使われているようです。
しかし、それは本当だろうかと疑念がわき、縄文中期までの増加率と晩期以降のそれとを比較してみたというものです。

歴史ですので人口の推移には、様々な要因で増えたり減ったりすることが当然あると思います。
ただ、縄文時代は戦争がなく平和だったといわれていますので、大きな外乱要因は天変地異位でしょうから、ひとまず一直線に増加したとしたらどの程度の増加率になるかに興味を持ちました。
その結果0.06%という値が導き出された次第です。

一方、紀元前3000年に人口8万人の時、紀元前2000年に59万人となるには、平均0.2%の人口増加率が必要と分かりました。
この値は、大量渡来を考えないとすると、明治以降のような食糧・衛生・エネルギー事情が格段に改善したとも思えないのに、突然それまでの3倍以上のペースで1000年の間、子供を産まなければ到達しえない値であることが分かりました。

むしろこの0.06%という値は、前掲サイトのグラフにある縄文中期までの増加傾向とぴったり合いつつ、8世紀の人口まで列島内だけで無理なく到達します。
そこで、中期以降の減少と増加も、大量渡来もそもそもなかったとして考えないといけないかもと、今は思っています。

>紀元前後に大量渡来があったなら言葉とか風習とか痕跡があるはずなのに

このくだりについてですが、この推定した人口増加率と使うと、中国江南系と目されているY染色体ハプロタイプO1b2系がどの時代にどの程度渡来すれば、現在のハプロタイプ比率になるかも推定することができます。
それを見ると、意外にもかなり古い時代に小数の渡来でも現有比率に到達可能で、早い時期に言葉や風習が融合しきっていて、紀元前後には痕跡が見られないのではないかと思います。
  • 2018-04-10 21:24
  • 通りすがり
  • URL
  • 編集

[C104]

通りすがり様

今回も示唆に富んだコメントありがとうございます。
大変有意義なのでコメント欄ではなく新記事として返事させていただきます。
  • 2018-04-12 03:02
  • ざる
  • URL
  • 編集

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