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インドネシア メモ 3

インドネシアの歴史は複雑だけれど、そもそもヨーロッパと東南アジアは構造が似ていると最近気がついた。

ヨーロッパは紀元前後にローマ文明を受け入れた。
東南アジアも紀元前後にインド文明を受け入れた。

両地域の支配層は国境を超えて姻戚関係を持ち、興亡を繰り返した。


東南アジアではシュリーヴィジャヤ王国とシャイレーンドラ朝が姻戚関係にあり、シャイレーンドラ王家はサンジャヤ朝とも姻戚関係にあった。
クディリ朝とバリ島のワルデマワ王朝、マジャパヒト王国とチャンパ王国も姻戚関係にあった。


その構図は日本にも当てはまる。
古代、太宰府の大和国は日向国や出雲国、飛鳥の蘇我王国と姻戚関係にあり、戦国時代の大名は姻戚関係だらけだった。

面白いなあとは思うけれど知識が追いつかないwww



 ※ ※ ※ ※ ※



ジャワ島のシンガサリ朝(1222〜1292年)が興味深い。

シンガサリ朝
Wikipediaより流用

建国者ケン・アンロクは悪党だったが僧侶の養子となり地域の領主に仕えたが、領主を殺し未亡人となったケン・テデス(領主の子を身籠っていた)と結婚し、クディリ王国を倒しシンガサリ王国を建てた。
ケン・アンロクには3人の息子がいたが、ケン・テデスの息子アヌサパティは、実父の仇ケン・アンロクを殺害し2代目の王になる。しかし異父弟トージャヤに殺され、トージャヤが3代目の王になる。
2代目王アヌサパティの息子ランガウニは3代目王トージャヤと戦い勝利して4代目の王となり生涯を全うして亡くなり、4代目の王の息子クルタナガラが5代目となる。

5代目クルタナガラはバリ島を征服しベトナムのチャンパ朝と姻戚関係を結んだり、元の正使の顔に刺青をして送り返しクビライを激怒させるなど、絶好調だったが、クディリ王家末裔による内乱などで滅び、マジャパヒト王国が建てられた。


シンガサリ朝系譜
Wikipediaより流用

Wikipediaの系図を見てほしい。
シンガサリ朝とマジャパヒト王国は王朝名は違うが女系で続いているのがわかる。

初代王の妻ケン・テデスは強い。
領主の妻で領主の子を身籠りながら敵の大将と結婚し、他の女の子供が王位につくのを避け、領主との血でシンガサリ朝を、征服者との血でマジャパヒト王国を作った。



この構図は日本にも当てはまる。
継体天皇は応神天皇の五世の孫だなどと分かりにくい解説がある。
儒教の体裁を保つためだろうが、日本の天皇家も女系あるいは双系で考えたほうが分かりやすい。
 →双系社会_3

シンガサリ朝初代王の妻ケン・テデスに匹敵するのは持統天皇かもしれないと思っているが勉強不足が悔やまれる。




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