Entries

日本の国王について

日本の歴史書でヘンだと思うことがある。

『吾妻鏡』が鎌倉幕府の初代〜6代を、
『天正記』が1580〜1590年の秀吉の活躍を書くのは分かる。

しかしなぜ徳川幕府は天皇家の史書を書いたのだろう
徳川家の史書を書けばいいのに…。(あったっけ?)

というか、徳川家が天皇家に取って代わらなかったのはなぜだろう。
(継体天皇の例を出すまでもなく系図を創るくらい簡単だろうに)

徳川に限らない。
源頼朝も日本で最高の軍事力を持ったのに日本国王を名乗らなかった。

南北朝時代などという天皇家の危機があったのにその時天皇家を滅ぼして
…う〜ん、足利尊氏だと少し弱いか。

いずれにせよ軍事力を掌握した人が政治力を持ち王を名乗るのが普通だと思う。
日本のように軍事力を持たない権威が尊ばれる社会は他にあったかな。

代表格は藤原鎌足だ。
鎌足こそ天皇の外戚になるのではなく自分が天皇になれた。
道鏡だってなれたかもしれないのだから。

だいたい天皇家の歴史は2600年前に始まる。
その九州日向の地方豪族が毛人や衆夷を併合して
7〜8世紀に天皇家に都合の良い歴史書をまとめた。
東北のアテルイを倒したのはその後だ。

縄文人の末裔である天皇家以外の日本人は征服された側であるはずなのに。
徳川家でさえ天皇家の歴史書を日本の歴史書と重ね合わせている。

不思議だ。


(以下の引用は全てwikipedia)

日本の正史
日本では7世紀前半にまとめられた「帝紀」「旧辞」が国家による歴史書編纂の始まりである。その後、漢文による正史の体裁で8世紀前半に編年体で『日本書紀』が成立した。それ以後続けて編年体の正史が作られたが、続日本紀以後は、編年体を基本としながらも人物の薨去記事に簡単な伝記を付載する「国史体」とよばれる独自のスタイルが確立した。これらは六国史と呼ばれているが、901年に撰された『日本三代実録』(858年から887年までの30年間の歴史書)を最後に、朝廷による正史編纂事業は行われても完成をみることはなくなった。未完で終わったものとして「新国史」があり、その草稿の逸文が残っている。明治維新後にも正史編纂事業が進められ、漢文体の大日本編年史が企画されたものの、その編纂方針をめぐる対立や、編纂の中心となっていた久米邦武の筆禍事件により中止され、代わりに大日本史料が編纂されることとなった。

六国史
* 日本書紀
* 続日本紀
* 日本後紀
* 続日本後紀
* 日本文徳天皇実録
* 日本三代実録
* 新国史(続三代実録)

日本の正史以外の重要な歴史書
* 古事記 - 『日本書紀』に先んじると序文に謳われている史書。
* 本朝世紀 - 鳥羽上皇が六国史を継ぐ国史として作らせた史書。未完。
* 吾妻鏡 - 鎌倉幕府の編年体・日記体裁の史書。
* 本朝通鑑 - 林家が編纂した江戸幕府による編年体史書。
* 大日本史 - 水戸藩で編纂された紀伝体史書。
* 大日本史料 - 帝国大学文科大学史料編纂掛(東京大学史料編纂所)により編纂が続けられており、六国史以降の史料をまとめている。


帝紀
681年(天武天皇10年)より天智天皇2子の川島皇子・忍壁皇子らが勅命により編纂した書物で、皇室の系譜の伝承を記したものと考えられているが、現在は散逸して伝わっていない。
旧辞』と共に、天武天皇が稗田阿礼に暗誦させたといわれ、のちに記紀編纂の基本史料となったと伝えられる。


吾妻鏡
『吾妻鏡』または『東鑑』(あずまかがみ、あづまかがみ)は、鎌倉時代に成立した日本の歴史書。鎌倉幕府の初代将軍・源頼朝から第6代将軍・宗尊親王まで6代の将軍記という構成で、1180年(治承4年)から1266年(文永3年)まで(87年間)の幕府の事績を編年体で記す


本朝通鑑(ほんちょうつがん)
江戸幕府により編集された漢文編年体の歴史書。寛文10年(1670年)成立。全310巻。
江戸幕府の修史事業として編纂が行われ、林家の林羅山、林鵞峯(春斎)父子を中心に編纂された。前編3巻(神代)、正編40巻(「本朝編年録」に元からあったのは正編。神武天皇~宇多天皇)、続編230巻(醍醐天皇~後陽成天皇)など、全310巻から構成される日本通史。
3代将軍徳川家光時代の修史事業で、林羅山が編纂した『本朝編年録』は正保元年(1640年)に上梓されるが、明暦3年(1657年)の明暦の大火で焼失。寛文2年(1663年)10月、将軍徳川家綱の上意として林鵞峯に編年録の完成を命じられ、翌寛文3年8月に幕府老中の連署奉書で幕府の許可がおり、忍岡の林邸での編纂が開始される。編纂は着手から7年、寛文10年(1670年)に完成し、6月には中書本が将軍家へ提出される。清書本は紅葉山文庫と日光東照宮に納められた。


大日本史
日本の歴史書。江戸時代に御三家のひとつである水戸徳川家当主徳川光圀によって開始され、光圀死後にも水戸藩の事業として継続、明治時代に完成した。神武天皇から後小松天皇まで(厳密には南北朝が統一された1392年(元中9年/明徳3年)までを区切りとする)の百代の帝王の治世を扱う。紀伝体の史書で、本紀(帝王)73巻、列伝(后妃・皇子・皇女を最初に置き、群臣はほぼ年代順に配列、時に逆臣伝・孝子伝といった分類も見られる)170巻、志・表154巻、全397巻226冊(目録5巻)。




.



関連記事
スポンサーサイト



この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
http://zaru3386.blog.fc2.com/tb.php/58-3a7da247

トラックバック

コメント

コメントの投稿

コメントの投稿
管理者にだけ表示を許可する

Appendix

プロフィール

ざる

Author:ざる
ganko*k8.dion.ne.jp(*→@)
リンク・引用:フリー(連絡不要)
書籍やネットからの引用文は
緑色にしています。

アップ後1ヶ月以上経った記事の変更は追記にしますが、アップ後数日の記事はことわりなく修正する事が多いです。

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード

QR