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シャイレーンドラ朝など

インドネシアには凄い王国があった。

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シンガサリ王国のクルタナガラ王のもとにモンゴル帝国のクビライの使者が来て朝貢を求めたが、その顔に刺青を入れて送り返したので、1293年にモンゴルのジャワ遠征が行われたが、クルタナガラ王はクディリ王家の末裔と呼ばれる当地の領主ジャヤカトワンの反乱によって前年1292年に殺されていた。クルタナガラ王の娘婿であったウィジャヤはジャワ北岸のトゥバンに上陸した元軍と同盟して、ジャヤカトワンが乗っ取ったシンガサリ王国を滅ぼし、さらに元軍をジャワから追い出して、アルヤ・ウィララジャと協力してマジャパヒト王国を建国した。…(中略)…

マジャパヒトと元朝の関係は当然悪化したが、フビライ・ハーンが死去すると大きく好転し、1295年から1332年の間に10回の朝貢が行われた。

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Wikipedia「マジャパヒト王国」より引用


ジャワ島まで遠征するモンゴルも凄いけれどインドネシアの王国も凄いっていうか、勝ってる。凄すぎる。


マレーシアやインドネシアの歴史は面白そうなのだけれどたくさんの王朝がありすぎてよくわからない。
そんななか、最近わかりやすい年表を見つけて喜んでいる。


東南アジアの諸文明流れ図


ところで2年前、タイ東北部を旅してクメール文化をたくさん見た。
オーストロアジア語族のクメール人がラオス方面からタイ東北部を通りカンボジアにアンコールワットを建造したと聞く。



それなのにプレアンコール文化はアンコールワットよりずっと南、プノンペンより南にあるタケオ州にあるという。
北から来たのに南に先行文化があるのはヘンでしょ。


と思ったら南下した後、南北に分裂したんだと。
で、南のタケオ州のクメール人がインドネシアのシュリーヴィジャヤ朝の属国になったのだと。


はい?
シャイレーンドラ朝じゃないのですか?

ん?
シュリーヴィジャヤ朝とシャイレーンドラ朝は同じ国かもしれないと?
Wikipediaには「シャイレーンドラ朝シュリーヴィジャヤ王国」などという表現もある。


なんだか古代は国という概念がゆるく、王族同士で婚姻関係を結んで緩く繋がっているような。
旧唐書東夷伝での「倭国と日本国」も同じ状況なのかもしれない。


そういえば中世ヨーロッパもハプスブルク家とかブルボン家とかごちゃごちゃしている。


もとい、分裂した南のタケオ州のクメール人の王ジャヤバルマン2世が南北を統一してアンコール朝を開いた?
そのジャヤバルマン2世はジャワで人質になっていたかも?
名前がジャワっぽいのはそういうこと?


日本が属国百済の王子を人質にしていて、百済王亡き後日本の軍隊とともに帰国させ、王位につかせたのと同じ?



・・・インドシナ半島からインドネシアの複雑怪奇な歴史は実は日本と似ているのかもしれない。


複雑怪奇といえばアンコールワットと同じ時代のチャンパ王国はオーストロネシア語族だという。
ちょっと前までマレー・ポリネシア語族といわれていた言語だ。
ここらへんも面白い。


ドンソン文化の太鼓と銅鐸も気になるのだけれどよくわからない。





参考:
【インドネシア 03】Taman Mini Indonesia Indah
尼TM_S_RIMG5195
胸に銅鏡。頭に金冠。腕輪。そして馬を引いている。
日本の古墳の副葬品と同じだ


日本人の来た道 05 東南アジアとの類似




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