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結局邪馬台国はどこにあったのか

結局邪馬台国はどこにあったのか


いまだに畿内説が多いので驚いている。

以前、ヤフー掲示板で九州説の同志が「ほとんどのプロが畿内説なのにアマチュアには九州説が多いのが物語っている」と言ったとき、何を物語っているのか理解できなかった。


今はわかる。学会の偏向だ。

学会にとって邪馬台国が九州にあるのは大変不都合だからだ。


どうして不都合なのか。

邪馬台国(太宰府の奴国)は金印に値する国(それも2回)なので滇国や大月氏国と同等だ。

邪馬台国の南に邪馬台国と争う狗奴国(菊池)があった。

邪馬台国に匹敵する国は狗奴国だけではない。

出雲にも畿内にも東海にも、幾つもあった。



ちょっと信じられないくらい古代日本は光り輝いていた 。



・・・学会にとってそれは困るのだ。



学会にとって日本は極東の小国、文化の吹き溜まりであり、中国・朝鮮から文化文明を教えてもらう未開国であるべきなのだ。




 *  *  *




学会が自国の文化に自虐的である原因はGHQと日本人の謙虚さにあると思う。


トンデモに聞こえるかもしれないけれど戦後教育はGHQによって歪められた。

素直な日本人は「GHQの言うとおり日本はダメな国」と自虐史観を受け入れ、なんとしても邪馬台国は畿内にあり金印は慰撫あるいは周辺諸国への牽制のためだと屁理屈をこねる。



そんな屁理屈が70年も続いたのだからすごい。



いや、戦前から、江戸時代から畿内説はある。

しかし最初に畿内説を解いた新井白石は後日九州説に改めている。



戦前の内藤湖南はバリバリの儒者だ。

儒者は曲者だ。(パヨクと似ていると思っている)





それはさておき。

ヤフー掲示板にいた畿内説者は九州説者と同様に真面目だった。

教員も歴史学者もほとんどGHQの洗脳には無自覚だろう。


いや、私自身、GHQに限らず色々洗脳されていると思う。

結局なんだかわけのわからないことを書いてしまった。



.


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コメント

[C76] 感想

一連の邪馬台国の記事、興味深く読ませていただきました。

私も九州説では無いかと考えていました。そうだとするならば
太宰府が中心都市の候補という事になりますかね。
古代の海岸線がどうだったかを考えた場合、現在の貝塚や古墳の
位置から想像するに現在よりも20~30mは高かったとして、大宰府
はちょうど日本海と有明海両方出られる位置に来ます(→Flood Mapsより)
この好位置を古代人が見逃すとは思えないので、古代から何某かの
重要遺跡があったとみるべきでしょう。

宇佐も勿論、重要な地ですが、私はここはヤマト王朝九州脱出の地では
無いかと考えています。八幡総本社の宇佐八幡を起点として船で瀬戸内
を水伝いに畿内にたどりついた場所が、石清水八幡かな?
  • 2017-05-30 22:00
  • ころっけ
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[C77] 感想ありがとうございます

ころっけ様
こんな怠けブログに感想ありがとうございます。

大宰府は半島の鉄を採る拠点として申し分ない位置にあります。

大宰府にあったヤマト国(邪馬台国)が機内に遷ったのは7世紀。
砂鉄製鉄が発明されて大宰府の位置的優位が薄れたことと白村江敗戦が理由だと考えています。

それはさておき、宇佐がヤマト王朝九州脱出の地であるならば日向はどうなるのでしょうか?

古代史はジグソーパズルのようで本当に面白いです。
これからもほそぼそ続けていきますので今後とも宜しくお願いします。
  • 2017-05-31 02:11
  • ざる
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[C78] 感想の続き

こんにちは
早速の返信ですね!

今となっては想像できないですが、私は北九州や壱岐・対馬こそが日本の中心であり、南朝鮮沿岸は日本の影響下ではなく、日本の一部だったと考えています(前方後円墳の出土等から) 当時はマイカーならぬマイシップというくらい船が身近なものだったのでしょう。江戸時代のような農耕民族では決して無かったと思います。古代の方が均一な文化だったのに、だんだん内向き・村社会になっていったのは海洋文化を忘れていった過程ではないでしょうか?

古事記では国生みの順序が記されています。
淡路→四国→九州(筑紫→豊国→肥国→熊曽)→壱岐→対馬
の順序です。人間、歴史が新しい方が記憶も鮮やかなものなので、覚えてる
順に先に書いていったとは考えられないでしょうか?この逆の順序で中心が移って
いったと考えれば自然かもしれません。(ただし、隠岐・佐渡も途中に入って
いるので、それらについては後付け?かな この辺、説明苦しいです)

あくまで仮説ですが日向は、九州に最初に王朝が建てられた場所=天孫降臨か
それに近い土地なのでしょう。伝説は全くの作り話では無いと思います。
壱岐からいきなり熊曽に本拠を移した真相は分かりませんが、はるか昔、
北九州と壱岐・対馬とは同族でも仲が悪く、異種ではあったが仲の良かった
南九州の一族を頼ってしばらく居ついたのかもしれません。

古代史に関しては、あくまでもアマチュアの興味なので、間違い等ありましたら
指摘、指南いただければ幸いです。



そして課題の
  • 2017-05-31 23:38
  • ころっけ
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[C79] 続けてありがとうございます!

ころっけ様
日本が海洋民族であること、同意です。
現在も東南アジアと日本はよく似ています。

日向も遺跡が豊富ですよね。
というか、九州は全体にやたら濃いです。

なのに学会は畿内説一色!

プロの歴史学者がいい加減なので日本の古代史はスキだらけ。
ネットのおかげでアマチュアどうしが議論を出し合えます。

古事記日本書紀も解釈は十人十色。難しいです。
こちらこそ、間違いを指摘していただけたらうれしいです。
  • 2017-06-01 09:25
  • ざる
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[C80] はじめまして

はじめまして、よろしくお願いします。一瞬、自分のブログかと勘違いしました。(邪馬台国など書いた覚えがないのに、通常「邪馬壹國」表記にしています)

WGIPの存在が明らかになった現在ではすっかりGHQによって教育が歪められたことが事実だと判明しました。それでも、がんばって、がんばって、憲法9条は自主制定だとNHKまで総動員して情宣する異常さに辟易しております。

さて、私も少々古代史に興味を持ち、ここ10年ばかりのにわか歴史家になっております。邪馬壹国に関しても、紹興本や紹熙本を参照しながら女王国を比定しております。北部九州と畿内の二説が両巨塔で、他は全く顧みられることもありません。

実は、私達は、徳島から日本文化が全国へ波及していったのだという世にも珍しい説を唱えております。オリジナルではなく、元は徳島藩士であった池辺真榛の研究成果に基づいたものです。英才誉れ高い池辺は本居門下で古語拾遺の解説を著して将来を嘱望されながらも幽閉され変死を遂げております。

池辺の主張からすれば、当然天皇家も徳島出身だということにもなり、一朝である日本は邪馬壹国も大和の一時代ということになります。神武東征で奈良が発展するのですが、その前は徳島ということが、式内社の命名からもよくわかります。ただ、この世は多数決、声が小さいのは日本人の特徴(阿波人気質がそのまんま日本人気質)、阿波邪馬壹国説など無いに等しい現状です。

ほんの一例をあげておきます。
①魏志倭人伝の距離方位によって、徳島山間部決定。「帯方郡より南東方向12000里」
②天皇陛下即位の践祚大嘗祭にて、徳島の山岳部より神の依り代としての「麁服」を調進している。これにより天皇足り得る儀式が今も行われている。
③金印は西暦57年光武帝よりもたらされたが、奴国は倭の「極南界」とある。博多は那珂郡(奴)ではあるが、極南では無い、まして、界では無い。神武東征のまだなされていないこの時期、極は徳島県・淡路島である。(古事記を参照)
④勝浦は徳島県勝浦から広がってゆく地名であるが、「なか(中、長、那珂、那賀等々)」も同様に徳島県東部南部から全国に広がったと推定できる。

いきなり長文になりました、申し訳ありません。これを機会によろしくお願いします。

[C84] コメントありがとうございます

返事が遅くなってすいませんでした
GHQのこと、NHKのこと、全く同意です

邪馬台国論争に徳島説があることは知っていました

現在、たくさんの邪馬台国候補地があります
殆どのプロの歴史家・学者が畿内説であるにもかかわらずです

畿内説に納得できる根拠がないからだと思います

ですからアマチュアであるわたしたちの出番があるわけで
たのしくやっていきましょう!!

「極南界」については倭の捉え方で解釈が変わります
わたしは倭=邪馬台国ではなく、倭人の国はたくさんあってその中のひとつが邪馬台国であり、邪馬台国の南端が奴国であると考えています

これからもよろしくお願いします
  • 2017-08-01 04:32
  • ざる
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[C87] 久しぶりに覗きにきました

平成は30年をもって終わるということですから、平成31年3月31日でしょうか。即位式は法律にのっとって粛々とされると思います。さて、前出ですが、天皇家としては、践祚大嘗祭を経なければ正式な天皇とは認めないようです。式典が楽しみです。
国会議員もこの式典を、「御霊を受け継ぐ儀式」と答弁しておりますが、本当のことは理解されていないように思います。御霊はどこにあってどのように天皇に乗り移るのか?(式典形式であり、霊を信じているわけではありませんが)日本が一朝で来たという史実。この二つを知れば邪馬台国論争など一瞬で解決すると思います。(^^;

[C88] つづき

今年から、辰砂鉱山の本格調査が徳島県内で始まります。以前にもありましたが、あれでは不十分なんでしょうね、きっと。「其山有丹」女王国には辰砂鉱山遺跡がなくてはなりません。九州説のベンガラだと主張する考古学者が沢山いる事に驚きます。

あと、距離に関して、オドメーターがあったかのような記述も笑えます。距離は天測ないし平板測量に近い技術で行われたと思います。つまり、直線です。海でもオドメーターが使えたかの如く解説している本もあり、噴飯ものです。

我国における距離は日数ですが(陸路も海路も)、これは近世まで、そうです。これが我国では、合理的であったわけです。10世紀の主計にも、日数で距離を表現しています。

いずれにしても、邪馬壹国ロマンを壊してしまい、申し訳ないような気もします。古代史はヒステリックな方が多いので引いてしまいます。

ざるさんは論理的な思考ができる方とお見受けして、書込みしております。

[C89] コメントありがとうございます

返事がおそくなり申し訳ありません。

らくじんさんブログのリンクに武田邦彦先生があって嬉しく思います。

日本を救えるのは武田先生と桜井誠氏だと思う今日このごろです。
そして武田先生も桜井氏もらくじんさんも「天皇は一朝」といいます。

ところがわたしは天皇が一朝でも二朝でも構わないし、天皇の系譜が2600年というのは神話だと思っています。

とはいえ記紀が編纂された時から天皇の系譜は続いているわけで、すごいことだと思います。
そして天皇の系譜を守ってきたのは縄文、いえ、縄文以前から日本列島に住み続けている日本人が日本人だから(縄文人=弥生人=日本人)だと思っています。

自分と同じ考え方の人はいないわけで、話せば話すほど祖語が生じます。
らくじんさんとわたしは細かくいえば違いますが、中韓に媚びたアカデミックには、一緒に立ち向かっていきたいと思っています!
コメントありがとうございました!!
  • 2018-02-16 05:18
  • ざる
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[C94] 践祚大嘗祭、いよいよ来年です。

純粋に、神武天皇即位年を統計手法のみで求めたことがあります。結果は、西暦300年を前後する頃と出ました。(継体天皇を史実としてそれ以前を求める)当たらずと言えども遠からずだと思います。

天皇家の祖先が何処に住んで居たかのヒントは、今も連綿と天皇家のする儀式をみると得られます。一番は践祚大嘗祭です。また、着袴の儀などもよくわかる儀式ですね。あと、祝詞も神官は意味も解らず毎日唱えていますが、そこにもヒントが沢山隠れています。(別に隠されているのではありませんけど。毎日唱えていますから・・・)

いずれにしても、マイナー過ぎて皆さん引いてしまうのが常です。(^^;

[C95]

コメントありがとうございます。
践祚大嘗祭、検索してしまいました。m(_ _)m

日本大好き、古代史大好きなのに天皇家に距離をおいていてすいません。

天皇家に関わることを含め古代史の解明には、考古学、中国の史書、風土記などがありますが、何と言っても大半は古事記と日本書紀に頼っているのが現状です。とくに日本書紀です。

日本書紀がなんのために書かれたかといえば、天皇が日本を統治する正当性を謳うためです。

そして皇位が持統天皇から孫の文武天皇に譲位されたところで完結しているのですから、日本書紀の目的は「文武天皇の正当性の宣言」だと思っています。
→天皇家の故郷
 http://zaru3386.blog.fc2.com/blog-entry-387.html
  • 2018-03-23 04:32
  • ざる
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