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大和朝廷太宰府説 4

敵同士の新羅と百済が同じ国の属国になり一緒に儀式に参列するのはヘンだと思う。

実状は百済は太宰府大和国に隷属し、新羅は畿内蘇我王国に隷属していたのだろう。

そう考えると色々納得できる。
敵対していた百済と新羅が「同じ倭国」に人質として王子を出すわけがない。
武寧王が「筑紫の各羅嶋」で生まれたのは百済が太宰府大和国の保護国だったからだ。



日本書紀には596年、飛鳥寺に高句麗僧慧慈と百済僧慧聡がいたとある。

不仲だった高句麗と百済の僧が「同じ倭国の同じ寺」で生活を共にするわけがない。
九州天皇家の観世音寺に百済僧が、畿内蘇我王家の飛鳥寺に高句麗僧がいたのだろう。
 →九州の仏教と畿内の仏教
 


だから乙巳の変が三韓(新羅・百済・高句麗)の調の場で起こったというのはオカシイ。

太宰府の天智が鎌足とともに畿内蘇我王国を訪れたのだろう。
当然ながら皇極天皇が入鹿暗殺の場にいたなどというエキセントリックなことはなかった。

まず、天皇の前で、母親の前で、入鹿を殺すのは危険だ。



「韓人が鞍作臣を殺した、私の心は痛む」と言った天智の兄、古人大兄皇子は
蘇我馬子の孫でもあるわけだから、太宰府から畿内への入婿だったのかもしれない。


「韓人」というのは馬子暗殺の実行者、佐伯子麻呂と葛城稚犬養網田が
任那からの参列者だったのかもしれないし何か他の理由があるのかもしれない。



だいたいにおいて。



畿内では蘇我氏のほうが天皇より位が高いからクーデターが必要だったのだろう?


それとも馬子が崇峻天皇を殺害したあたりで立場が逆転したというのだろうか。
であるなら、蘇我氏は仕返しされないように相手を、この場合は天皇家を潰すはずだ。

天智は乙巳の変で自宅にこもった兄の古人大兄皇子を3ヶ月後に殺し、
クーデター側についた蘇我倉山田石川麻呂も5年後には自害に追い込んだ。



乙巳の変は天皇家が畿内の王ではなかったとしなければ成り立たない。
ともあれ、このクーデターで蘇我氏が持っていた『天皇記』は消失したという。


次は斉明天皇重祚のカラクリだ。




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