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大和朝廷太宰府説 2

なにはともあれ7世紀日本の強大国は
九州大宰府を都とする大和国と
畿内飛鳥を都とする蘇我王国だった。



斉明天皇は即位した642年から崩御した661年まで
ずっと九州大和国の女王として君臨していた。
重祚などしていない。


しかし記紀にはそう書かなければならない理由があった。
持統天皇の孫、文武天皇の正統性を主張するためだ。



645年に九州大和国は蘇我蘇我王国を乗っ取った。
いわゆる大化の改新だ。


なぜ乗っ取ったか。
九州大和国は半島の鉄の産地を新羅に奪われ、出雲は砂鉄製鉄で勢力を伸ばしていた。


新羅の王は丹後から渡った倭人だったのだから、新羅と出雲は友好関係にあった。
でなければあれほど沢山の勾玉を手に入れられなかっただろう。



ここらへん、まだ不確定要素が多いけれど。
畿内蘇我王国が高句麗と友好関係にあったのは確かだ。


畿内には止利仏師がいて北魏様式の仏教を取り入れていたからだ。
太宰府が取り入れた南朝様式の洗練された仏教に比べて、ダサい。


畿内の仏教文化はダサいけれど、出雲の砂鉄製鉄は素晴らしい。
半島の鉄が新羅に押さえられつつある時、
太宰府大和国が出雲を乗っ取りたいと思って不思議はない。



出雲乗っ取りは八岐大蛇神話と国譲り神話にある。6世紀後半のことだ。
この時、新羅と高句麗は敵対していた。

畿内乗っ取りは645年の大化の改新に始まり
672年の太宰府で起こった壬申の乱の後、天武天皇による東征で完了した。
途中668年、高句麗は唐により滅亡している。



さて、東征した太宰府大和国の南朝文化で畿内のダサい北魏様式の仏教は廃れた。
東征した王は薄葬の制を定め、石棺に故国からピンク石を運んだ。




一生懸命端折っているのだが、斉明天皇が重祚していない理由まで辿りつけない・・・
ダサい畿内を乗っ取った理由も書けてない・・・

P1020394s.jpg P1020576s.jpg
P1020505s.jpg P1020473s.jpg
慶州の博物館にあった勾玉の一部(2005.12.10)




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