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大和朝廷太宰府説 1

卑弥呼は大宰府にいた。

大宰府政庁で政務を行い卑弥呼の弟が補佐していた。
卑弥呼の館は大宰府政庁隣の観世音寺にあったのではないか。これは想像だ。


漢字の音からもわかるように邪馬台国=大和国だ。


卑弥呼の時代から400年後、太宰府に都を置く大和国は皇極天皇が支配し、
弟の孝徳と息子の天智が実務を補佐していた。



このあたり・・・
太宰府の大和国と畿内飛鳥の蘇我王国との関係がスッキリ把握できていないけれど
大筋、間違っていないと思う。



長い間、大和国は半島南部の鉄で潤ってきた。
ところが新羅が台頭し任那日本府が奪われた。


その頃、出雲は蹉跌製鉄を開発し羽振りがよかった。
そして畿内の蘇我王家は出雲系ではないかという説がある。
参考:「蘇我 出雲」で検索


ちなみに倭人伝の投馬国は出雲だと思う。
帯方郡から水行二十日で辿り着く国だ。
翡翠の流通を司る出雲は倭人伝に特記すべき国だったのだろう。
参考:「投馬 出雲 発音」で検索




もとい。
皇極天皇より少し前、大和国が支配する任那日本府に須佐之男命がいた。
大和朝廷と近い姻戚関係にある王子だ。


八岐大蛇神話はその須佐之男命が砂鉄製鉄で潤う出雲を乗っ取る物語だ。
任那日本付が滅亡した562年頃の話だと思う。


八岐大蛇が持っていた草薙剣は須佐之男命の剣より強かった。
記紀は出雲の砂鉄製鉄が大和国より優れていると正直に書いている。


 →邪馬台国までの行程
邪馬台国行程B

 →国引き神話
国引き神話


どうしても話が散漫になってしまう・・・
文章が下手だし説明も下手だし・・・がっかりだ。



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