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天皇家の故郷

前回「東日本の日本人が天皇制に組み込まれたのは7世紀から8世紀頃」と書いた。



ところで天皇家の編纂した記紀に「592年、蘇我馬子が崇峻天皇を殺害した」とある。



蘇我馬子は天皇を暗殺して推古天皇を即位させ、仏教を奨励し、冠位十二階や十七条憲法を定め、遣隋使を派遣し、「天皇記」「国記」を著し、王のように振舞った。



そう書きながら記紀は蘇我馬子を非難していない。



だったらこの時期の畿内を支配していたのは崇峻天皇ではなく蘇我馬子だったのではないか。
言い方を変えればこの時期の畿内の王は蘇我氏だったのではないか。



このように記紀は天皇家に都合の悪いことも書いているので大方信用している。



その記紀が天皇家が天孫降臨した場所は「筑紫の日向の高千穂」だという。



類似の天孫降臨神話はインドネシアや台湾などアジア各地にある。
私は天皇家は日向の地方神だったと思う。



記紀が書かれた目的はなにか。

編纂を命じたのは天武天皇だ。
天武天皇の目的は、日向出身の天武が太宰府の大和と合体し、蘇我氏が治める畿内に東征して日本を支配するに至ったことの正統性を述べるためだっただろう。

日本書紀は持統天皇が孫の文武天皇に皇位を譲ったところで終わっている。
天武亡き後、持統天皇は天武天皇の編纂の目的に孫の文武が天皇になる正統性を加えた。
文武は若くして崩御したが、持統の意志は娘と孫娘に引き継がれ、720年に完成された。

そう考えると矛盾に満ちた記紀神話の辻褄が合ってくる・・・。

645年 太宰府の大和国が蘇我氏の支配する畿内を乗っ取っり(大化の改新)
672年 日向の天皇家が大和国を取り込み畿内に東征し(神武=天武天皇 壬申の乱)
697年 持統天皇から孫の文武天皇に皇位が継承される(天孫降臨)

 →神武天皇は実在したか
 →九州系倭人による東日本統一


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2008年7月21日




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