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マレーシア02c ペナン州立博物館

ペナン州立博物館
19世紀末から20世紀初頭にかけて建てられた学校の校舎を改装して利用した博物館。やや小ぶりながら、ペナンの移民の歴史や、イギリスや日本による占領の歴史などがわかって面白い。1回が中国系、インド系、マレー系といった主要なエスニックや、「ババ・ニョニャ」などエスニック同士の混淆文化に関する歴史を紹介した展示コーナー、2階がイギリスや日本による占領当時の歴史を紹介したコーナーとなっている。2階の一部にアートギャラリーを併設している。@Wikipedia

写真資料:トリップアドバイザー ペナン博物館 / アートギャラリー

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博物館入口
以下、個人的に気になったことをピックアップ

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左:日用雑貨の棚の中央上に展示されている丸い穴を持つ皿は東南アジア共通だ
  これをインドの皿と同じだと思うのは強引だろうか。
右:トラディショナルとあるので伝統的台所用品なのは分かるのだが時代が書いてない

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それで、受付で左の土器は100年前のものか、1000年前のものかと聞いたのだが
壺もすり鉢も60年位前のものとのこと


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中国の葬式
今日、中国の葬式と埋葬はイベントになっている。裕福な人が死ぬと、さらに細かい部分にまで手の込んだ催しとなる。
現世の地位にふさわしい死後の生活を"心地よく受け入れる"ために必要なものを準備することに労を惜しまない。葬儀の中心は豊かな死後の生活のために現世に入手できるレプリカの紙幣を燃やすことである。
葬儀の列はきわめて壮麗である。敬意と哀悼を表すのに、死者の信奉者たちは喪服を着て徒歩で霊柩車の後をついていった。過去には、邪悪な霊を避けるために大きな"デーモン(悪霊・守護神)"が行列の先頭にあった。
道教士または仏教徒は土葬の儀式を行う。食べ物やロウソク、線香その他を供物として墓の脇に供える。もし故人が火葬されていたら、信者によって同様の儀式と供物が火葬場で供える。
葬式の後の儀式は7日、49日、100日後に行われる。その儀式はとても象徴的で重要だと考えられている。


パネルに神輿の写真(右下)があったので訳してみた。
訳は合っているのだろうか。英語は難しい・・・。
神輿には鳳凰のような鶴のような鳥が飾られているのだが、本当に葬式の写真だろうか。
あるいは飾られた棺を担いでいるのだろうか。

日本では神様の乗る神輿が葬式で使われる事はありえないと思うのだが・・・謎だ。
葬式の後の初七日とか49日の法要は、タイやミャンマーにもある。


次に日本のコーナーのパネルを訳してみた。ムズイ。

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日本人
最初、ペナン島の日本人は無名の僅かな個人投資家や職人や冒険家に限られていた。第一次世界大戦(1914-18)の後、マレー半島における鉱業や農業その他の発展は、より多くの日本人起業家や労働者を呼び寄せた。金融や商業の分野に入ることで、日本人は国の基幹産業である錫とゴムを扱う重要な役割を果たした。
初期の日本人移民は、自分たちの学校を運営し、宗教その他の社会的組織を維持していた。今日、ペナン島の日本人は、日系企業や合弁会社で働く駐在員を含む。


悪い風には書いてない。安心した。


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日本時代(1941-1945)
マレーシアへの日本侵略は1941年12月7日に始まった。陸軍中尉山下智之の指令により、南タイのシンゴラとパタニだけでなくマレー半島東海岸のコタバルとクァンタにも日本の兵隊が同時に上陸した。日本の戦闘機はクアラルンプール、ペナン島、シンガポールを爆撃し、マレーシアの戦闘能力を滅ぼした。
ペナン島は12月5日に日本軍に砲撃なしに占領された。それからクリスマスまでに、イギリス軍はシンガポール”要塞”へ退却した。

  イギリスがペナン島は無防備都市にすると宣言した時・・・誰もがものすごく期待はずれに
  混乱し、騙されたと感じた。
  降伏することは簡単だ。ひとりの日本人...(広石大佐)が来て、我々の武器は差し押さえた
  と言い、我々に家に帰れと命令した。 
                      R.L. Cutter, 'E’団 第3大隊 海峡入植有志部隊

ペナン島はその後3年8ヶ月、日本軍に支配された。この間、ペナンの人びとは戦争による過酷な現実を経験した(生き残った人びとに消えない傷跡を残した)。戦争中は必要物資が生産不足となり、日常生活に欠かせない物資の不足に苦しんだ。厳しい規則や注文の強制、特に違法行為者に対する素早い処刑は、一般住民を不安にさせ緊迫させた。

日本は遊園地やギャンブル、飲み屋、キャバレー、ダンスホールを作って住民の気をそらそうとした。


マレーシアへのイギリスや中国の入植は良い入植で日本の入植は悪い入植という構図。
特に最後の一行はどういうことよ?
・・・とは思うが、日本に対して他の博物館よりずいぶん穏やかな表現だとも思う。




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