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縄文の住居と人口

縄文時代の西日本の遺跡分布が少ないのは鬼界カルデラの噴火が西日本の縄文人の生活に大打撃を与えたからだというが本当だろうか

79年、ヴェスヴィオ火山噴火で埋もれたポンペイ
6世紀、榛名山噴火で埋もれた黒井峯遺跡

それらと同じように埋もれた縄文時代の遺跡を知らない

というかポンペイと黒井峯遺跡は埋もれたけれど
火山周辺の広域が長期にわたって人が住めなくなったわけではない

鬼界カルデラの噴火の規模はどのくらいだったのだろうか



というわけで鬼界カルデラと同じぐらいの規模の噴火を探した

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巨大規模火砕流
  史上最大の噴火は1815年のインドネシア・タンボラ火山の火砕流噴火で,噴出物の総量は100~150立方kmという巨大なものでした.なお,噴出物量1立方km以上が「大規模」に分類されています.桜島火山の体積は40立方kmです.この火山は半島の先端にあるので火砕流は周囲の海に流入し,急速水冷による溶岩片の粉砕によって多量の細粒火山灰が生産され,これを含む直径40kmの巨大リング状噴煙が立ち昇りました.周辺500km以内は闇夜の状態が3日続きました.多量の降灰により農作物は壊滅したために,8万人の餓死者が出ました.火砕流の直接の死者は1.2万人でした.この噴火により山頂高度は4,300mから2,850mに低下し,直径6km,深さ1,100mのカルデラが出現しました(図19.5 タンボラ火山のカルデラ).タンボラ火山では1815年以前の噴火は知られていませんでした.この噴火は長期間の休眠の後大噴火を起こした典型例とされています.

  約7,000年前,九州の薩摩半島南方50kmの鬼界カルデラが噴出物総量150立方kmの巨大火砕流噴火を行い,その到達距離は100kmに達しました.急速水冷による大量の火山灰(アカホヤ)は広範囲に降下し,九州南部では50cm以上に堆積しました.これによって縄文文化に断絶が生じたとされています.2.2万年前の姶良カルデラの火砕流は,南九州の広大なシラス台地として残っています.7万年前の阿蘇カルデラの火砕流は山口県にまで到達し,火山灰は本州全域を厚く覆いました(図18.6 日本における巨大火砕流噴火および阿蘇カルデラ).このような巨大火砕流は日本において1~2万年に1度ぐらいの頻度で起こっており,九州全域が壊滅するといったような破滅的な災害をもたらす可能性があります.大規模火砕流の発生を十分な時間的余裕をもって予知することは現在のところ不可能です.

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http://dil.bosai.go.jp/workshop/02kouza_jirei/s18kasairyu/kasairyu.htm">独立行政法人 防災科学技術研究所 自然災害情報室
http://dil.bosai.go.jp/workshop/02kouza_jirei/s18kasairyu/kasairyu.htm

787px-Sumbawa_Topography.png

地図はタンボラ山@Wikipediaより拝借


タンボラ火山のあるスンバワ島も全滅ではなく、近くのロンボク島やバリ島にも噴火による壊滅はなかった
だったら鬼界カルデラの噴火で九州全域が壊滅するはずがないではないか


 ※ ※ ※ ※ ※ 


鬼界カルデラの噴火が縄文時代の西日本の人口が少ない原因でないなら
他の理由があるはずだ


わたしは縄文時代に西日本の人口が少ないというのが間違いだと考えている

縄文人は高床住居あるいは平地住居に住んでいたのに
竪穴建物を住居として縄文時代の人口をはじき出したからだ

湿気の多い日本で竪穴に住むわけがない
 →竪穴建物 01 黒井峯遺跡


しかし実際、日本には竪穴建物址が多い
わたしは縄文や弥生の竪穴建物址は住居ではなく食料貯蔵庫だったと考えている
竪穴建物は貯蔵だけでなく燻製して保存食を作る作業にも適している


地下に食料を蓄えるのは今でも普通に行われている
とくに寒い地方に多い

だから寒い東日本に竪穴建物址が多いのは当然のことだ
そして西日本に竪穴建物址が少ないのは人口が少なかったからではない

東日本と西日本では食糧事情が違う

西日本に縄文からあった陸稲による米はネズミ返し付きの高床建物に貯蔵しただろう


 ※ ※ ※ ※ ※ 


縄文時代の人口について学者は
縄文中期が最大で26万人
縄文晩期は7万6千人だという
http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/1150.html">社会実情データ図録 人口の超長期推移
http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/1150.html


バカな話だ


中国の人口に対して日本の人口は
8世紀、18世紀、現在、の3つの時期にほぼ1/10だ
だったら縄文晩期の人口も中国の1/10を目安にしていいと思う

http://www.geocities.jp/cato1963/jinkou996.html">「中国の人口の歴史」
http://www.geocities.jp/cato1963/jinkou996.html
上のサイトに「春秋時代の後期の総人口は推定で500万人前後」とあるので
その頃(前722年〜前481年)の日本の人口は50万人前後ではないだろうか
(縄文遺跡は大陸より密なのだから1/10では少なすぎるのだが)
 →弥生時代の人口(1)




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