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帰化人 3

「倭人でない帰化人は少なかった」と思う根拠は他にもある。

Wikipediaによると日本書紀が「帰化人」を表す言葉は「帰化」「来帰」「投下」「化来」があるという。
 参考:渡来人@Wikipedia
    帰化@Wikipedia


そこで帰化人一覧の原文を確認してみた。
すると日本書紀は「帰化」という言葉を使っていなかった。

日本書紀の「投下」「化来」は倭人ではない人の倭への移民だろうが
「復以」は「戻ってきた」の意味ではないか。

そう読むほうが素直ではないか。

実際、任那を支配していたのは倭人であり、また、660年以降、多くの倭人が百済再興のために半島に渡っている。
665年に百済から「復以」した男女四百餘人は百済で倭語を使っていた倭人だったのではないか。

「渡来人」が高い文化文明を持ってやってきたという人がいる。
だったらなぜ技術系の言葉に渡来人の言葉が使われていないのだろう。
半島からの遺民を都から遠い場所に移住させたのはなぜだろう。

地方に文化を伝えるためだったという人がいる。
そういう場合は1名の技術者、指導者を派遣するものだ。

都は文化人を遠くに追いやることはしない。敵でない限り。


というわけで、帰化人は半島にいた倭人が大半であり、
倭人でない帰化人は高い文化文明を持っていなかったと考えている。

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

1)継体3年(509) 
 百済に使いを遣わし、任那県邑に住む百済人百姓の子孫を百済に遷す 
  括出在任那日本縣邑、百濟百姓、浮逃絶貫、三四世者、並遷百濟附貫也。

2)欽明元年(540)
 秦人・漢人の戸籍を作る
  召集秦人・漢人等、諸蕃投化者、安置國郡、編貫戸籍。
  秦人戸數、總七千五十三戸。以大藏掾、爲秦伴造。


3)天智4年(665)
 2月、百済の民、男女400人あまりを、近江国の神崎郡に住まわせた。
  復以百濟百姓男女四百餘人、居于近江國神前郡。
  →「復以」とは「戻ってきた」の意味ではないか?

4)天智5年(666)
 この冬、百済の男女2000余人を東国に住まわせた。
  以百濟男女二千餘人、居于東國。

5)天智8年(669)
 この年、左平余自信(よじしん)、左平鬼室集斯(きしつしゅうし)ら
 百済の男女700余人を近江国蒲生郡に移住させた。
  又以佐平餘自信・佐平鬼室集斯等、男女七百餘人、遷居近江國蒲生郡。

6)天武13年(684)
 5月、帰化を望んできた百済の僧尼および俗人の男女合わせて23人を、
 武蔵国に住まわせた。
  五月辛亥朔甲子、化來百濟僧尼及俗、男女幷廿三人、皆安置于武藏國。

7)持統元年(687)
 3月、自ら帰化してきた高句麗人56人を常陸國に、
 また新羅人14人を下野國に居(はべ)らせ、土地と食料を賜り、生活できるようにした。
 4月、自ら帰化してきた新羅の僧尼と百姓の男女22人を武蔵国に居(はべ)らせ、
 土地と食料を賜り、生活できるようにした。
  三月乙丑朔己卯、以投化高麗五十六人、居于常陸國。賦田受稟、使安生業。甲申、以花縵進于殯宮。此曰御蔭。是日、丹比眞人麻呂誄之。禮也。丙戌、以投化新羅人十四人、居于下毛野國。賦田受稟、使安生業。夏四月甲午朔癸卯、筑紫大宰獻投化新羅僧尼及百姓男女廿二人。居于武藏國。賦田受稟、使安生業。

8)霊亀2年(716))
 5月、駿河(静岡県)、甲斐(山梨県)、相模(神奈川県)、上総・下総(千葉県)、
 常陸(茨城県)、下野(栃木県)の7カ国の高句麗遺民1、799人を武蔵国に移して
 高麗(こま)郡を置いた。
  以駿河。甲斐。相摸。上総。下総。常陸。下野七国高麗人千七百九十九人。遷于武蔵国。始置高麗郡焉。

9)天平宝字2年(758)
 日本に帰化した新羅の僧32人、尼2人、男19人、女21人を武蔵國に移して、
 新羅(しらぎ)郡を置いた。
 帰化新羅僧卅二人。尼二人。男十九人。女廿一人。移武蔵国閑地。於是。始置新羅郡焉。

10)天平宝字4年(760)
  新羅人131人を武蔵の地へ移り住まわせた。
 帰化新羅一百卅一人於武蔵国。

以上、原文は「日本書紀(原文)を全文検索」「日本書紀と續日本紀を読む会 共同ノート」などを使わせていただいた。




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[C39] 初めまして

初めまして、日本史・古代史ファンです。

「帰化人」と「渡来人」・・・確かにどこで言葉が分かれたのでしょう?
おもしろい説がたっぷりで、極上ミステリーを読むようなブログ・・・。
まだまだ勉強不足ですが、楽しみに読ませて頂きます。
どうぞよろしくお願いいたします。
  • 2013-05-21 22:20
  • 悩めるママ
  • URL
  • 編集

[C40] 悩めるママさんへ

励みになるコメントありがとうございます。

ザル頭の上に怠け者で文章が下手で
そのうえ世間的にはトンデモ史観です。

そういう自覚はあるのですが、どこが間違っているかわからないので
反論や疑問をいただけると嬉しいです。

その前に、目に留めていただいてありがとうございました。
  • 2013-05-22 01:11
  • ざる
  • URL
  • 編集

[C41]

ざる様
「トンデモ史観」なんてトンデモない。
実は百済王伝説を調べようとしてざるさんのブログを見つけたのですが、丁寧で納得いく「なるほど史観」でした。

ざるさんもお考えの通り、古代史と近代史には左翼的な人の歪んだ考えが入ってしまい、腹立たしいやら何やら・・・。
古代史は乏しい物証を色々な角度から検証していく「真面目な学者さん」が多い学問。
薄紙を一枚づつはがすようにゆっくりと事実を確認し、積み上げてきたはず。
しかし某国が関わったとたん証拠もないの強引に説を立て、それを事実であるかのように持って行ってしまう。
どうなっているのでしょう?

しかし怒りは置いといて(^^)ざるさんの楽しいブログを最初からゆっくり読ませて頂きます。
  • 2013-05-22 14:13
  • 悩めるママ
  • URL
  • 編集

[C42] なんということでしょう

悩めるママ様
百済王伝説で来てくださったのですか!
ありがとうございました。

美郷町のようなことは日本全国にあるだろうと思います。

そのひとつが鬼室神社ですが、こちらは手強いです。
根気がなくてブログも尻切れトンボのままです。

歴史観がトンデモなのは間違いないです。
弥生時代の人口が通説の10倍近いと言っているのですから。

だから眉にツバつけて見ていただけたらと思います。

励みになるコメントを二度もありがとうございました。
感謝です。
  • 2013-05-22 22:15
  • ざる
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