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土井ヶ浜遺跡にいた人々 4

つづき

土井ヶ浜遺跡についてなかなかまとまらない。
理由のひとつは土井ヶ浜遺跡人類学ミュージアムの意見がはっきりしないことだ。

土井ヶ浜遺跡人類学ミュージアムサイトのトップ
日本人のルーツについての情報を展示・発信している
 わが国で唯一の人類学専門の博物館

と書き、シンポジウムに中国から述べ27名の学者を招いたにもかからわず
弥生人のルーツは「どこから直接渡って来たのかという問題はまだ未解決」という。

サイト上の考古学の業績は製作中で、データベースは白紙のままだ。
博物館の思惑通りの研究結果が出てこないからだろうか。


そんなふうに勘ぐってしまうには理由がある。


山東省の漢代の遺跡の骨が土井ヶ浜人ときわめてよく似ていたのに
春秋戦国時代の山東省には欧州人がいたというのでは弥生人のルーツを山東省とするのは難がある。

弥生人のルーツが「大陸にあるということはほぼ間違いない」と書いている
弥生時代に山東省から集団が渡来したならば土井ヶ浜遺跡に文字がないのはおかしな話だ。


だったら反対に日本列島から山東省に渡航した集団がいた証拠ではないだろうか。
朝鮮半島には弥生時代の日本人が渡航した松菊里遺跡がある。

山東省臨錙に日本人と同じDNAがあったならば、松菊里遺跡と同じように日本人が行ったと考えたほうが素直だ。


 * * * * *


古代、朝鮮半島南部の任那で鉄を採っていた日本人は、白村江の敗戦とともに集団で戻ってきた。
古事記日本書紀に「帰化人」と記された人々だと考えている。


中世、日本人は東南アジア各地に日本人街を作った。
近世にはハワイや南北アメリカに集団で移住した。

 資料:日本人街@Wikipedia


フィリピンやインドネシアなど東南アジア諸国は日本と似ている。
17世紀の日本の最大の貿易相手国がタイだったことは「日本文化は中国朝鮮半島経由で来た」という歴史観を是正するために重要だ。

 資料:http://mahoroba.exblog.jp/1446506/">敦盛とアジア−その2−
    http://mahoroba.exblog.jp/1446506/ 
 参考:お歯黒



太平洋戦争の敗戦とともに、東南アジアにいた日本人は集団で戻ってきた。
特に台湾と朝鮮半島からはほぼ全員が戻った。


先史時代、古代、中世、近世と時代が違っても日本人はいつも同じだと思う。


この項、尻切れトンボで辛い。

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