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【拉致問題】後漢書鮮卑伝 1

北朝鮮による日本人拉致と似た事が西暦178年にあった。

中国の史書にそう書いてある。


倭・倭人関連の中国文献@wikipedia>『後漢書』>檀石槐伝
>「光和元年冬 又寇酒泉 縁邊莫不被毒 種衆日多 田畜射獵不足給食 檀石槐乃自徇行 見烏侯秦水廣從數百里 水停不流 其中有魚 不能得之 聞倭人善網捕 於是東擊倭人國千餘家 徙置秦水上 令捕魚以助糧食」<

 現代語訳 ↓ ↓ ↓

檀石槐@wikipedia
>光和元年(178年)冬、鮮卑は酒泉を寇掠した。このころ、鮮卑の人口が急激に増え、農耕・牧畜・狩猟だけでは、食糧を十分に供給することができなくなったので、檀石槐は烏侯秦水にまでやって来て川魚を獲って食料にしようとしたが、まったく獲れなかった。そこで、汙人(倭人[1])たちが魚獲りに巧みだと聞いたので、汙国を撃って烏侯秦水のほとりに移住させて魚獲りに従事させ、食料難を解決したという。

脚注[1]:『三国志』では汙人、『後漢書』では倭人と表記。いわゆる倭人なのかは不明。
<


食料難なので烏侯秦水(遼河流域)の魚を獲りたかったが鮮卑族は漁業が出来なかった。
そこで倭国を襲い漁業に巧みな倭人(汙人)を千余家さらって烏侯秦水で漁業させた。

と書いてある。



この件は2008年のYahoo!掲示板に書いた。
「東夷伝」の倭人と「鮮卑伝」の倭人



以下その時の反論と再反論。

反論1(要旨)
日本列島から朝鮮半島まるまる飛び越して高句麗の北西に千家族を連れて行くわけがない

16世紀以降、アフリカの奴隷は遠くアメリカまで1000万人以上運ばれた。
20世紀のソ連は民族ごとの強制移住を数万・数十万人単位で何度も行った。

2世紀に「千余家」さらったのは凄いことだが、だからこそ記録に残った。




反論2(要旨)
朝鮮半島を縦断して?

船で。
鮮卑族に対馬海峡を渡る技術はないので、海の民を雇ったのだと思う。




反論3(要旨)
范曄が「シ于」人を発音の似ている倭人と混同してしまったのでは?

遼河中流域に漁撈に巧みな民がいなかったから「シ于」人をさらったと書いてある。
漁撈に巧みな「シ于」人はどこに住んでいたのか。

遼河中流域の民は漁撈が下手だった。
遼河下流域は半島も含めて漢の支配下にあるのでそこの民を連れてくるのは不都合。

ところが日本列島の倭人は漢の支配下になく漁撈が巧みだった。
だから倭人をさらうのが一番安全。倭国は遠いから文句も届かない。

5世紀の歴史のプロが「シ于」人を倭人としたのは理にかなっている。




反論4(要旨)
人さらいを請け負う海の民は漁撈も巧みだろうから彼らが直接、漁撈に従事すればいいではないか。

渤海や黄海、東シナ海には倭人をさらうのに協力する海賊はいても、鮮卑のために内陸部で漁撈に従事したい海賊はいなかったと思う。




反論5(要旨)
千家族運ぶのにのべ数十隻の船が遡ったということか?

そのとおり。

海の民(あるいは漢)にとって。
鮮卑のために同族がさらわれるのは黙ってられないが、列島の倭人を運べば儲かる。
逆らって鮮卑ともめる理由もない。



つづく


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