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漢民族の定義てかwikipedia

ちょっと前のこと。
ネットで「漢民族という概念は、清が滅んだ後、満州族と区別するため作られた」
と読んだ記憶があったので、そのソースを探した。




wikipediaですぐに見つかると思っていたのだが違った。
近代どころか古代からあったような書きぶりだ。

漢民族@wikipedia
>漢民族の由来は中国の漢の時代に遡る。
…(中略)…漢民族という名称は漢王朝(BC 206~AD 220)の時代から今日まで使われてきて…
<





ちょっとまて。
民族という概念こそ近代作られたものではなかったか?

和製漢語@wikipediaの例としても3つ目にあるじゃないか。
>文化、文明、民族、思想、法律・・・<




いやまて。
民族@wikipediaで確かめた。

>東アジアにおける語源
中国の古典…(中略)…の用例の最も早い例としては、6世紀の『南斉書』…
<


・・・最も早い例が6世紀?
「漢民族という名称は漢王朝の時代から今日まで使われて」いるんじゃないのか?
なんだかよく解らんがづつき。


>…これはあくまでも中国語における民族の語源を示すものであって、日本語の社会科学の概念としての民族をいかに定義するかの問題とは混同されてはならないだろう。<



・・・ん?。
では満州族の定義はどうなっているだろう?


満州族@wikipedia
>中華人民共和国の現支配層を構成する漢民族は近代以前に満洲民族の清王朝に支配されたという歴史的屈辱や、日本の支援で満洲国という形でその悪夢が再現したという歴史的経緯から、満洲民族の民族的覚醒を警戒し、その為に満洲という言葉には敏感である。<




wikipediaにしては情熱的な表現で面食らった。

で、この時は「記憶のソース」がwikipedia以外でも見つからなかった。



 * * * * *



今日、たまたまパソコンに残したメモを見ていたらソースが見つかった。
           ↓
-----------------------------------------------
漢族・満洲族とは

【漢族】中華人民共和国の全人口の92%以上を占める。
この言葉が用いられはじめたのは、19世紀以後で、満州人と区別するためであった。

中原に住む殷族と西方からやってきた周族が混交し、今にいう漢民族の母胎ができあがったのだが、
その母胎はすぐに秦族に撹乱された。
秦始皇の眼の色は青かったとされるが、秦族は元々は西方の胡族であると考えられる。

また中国は4世紀ころから騎馬民族に北部を支配されるが、その過程で多分に北方民族の血が混ざったとされる。
唐王朝の皇帝らも、実は北魏朝の血筋を引いており、多分に騎馬民族の末裔なのである。

一方騎馬民族に押されて南下していった漢族らも、タイ族の原住民と混交していったと考えらる。


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BC%A2%E6%B0%91%E6%97%8F



cf:「民族」という概念は、ヨーロッパ近代の影響で初めて認識されたカテゴリーである
-----------------------------------------------
2003/11/20 (木) メモ



2003年のwikipediaにはそう書いてあったようだ。
wikipediaは不特定多数の識者が随時更新していくものだから、書く人の立ち位置で表現が変わる。
それを無料で利用させてもらっているのだからありがたい。
ありがたいけれど気をつけたい。

マスコミも鵜呑み出来ないし、辞書も鵜呑み出来ないのだから当たり前。



メモから長文検索したら詳細が見つかった(↓)ので保存した。
http://www.hongliu.net/Article_Print.asp?ArticleID=1507




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