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鎌足と不比等がネック

トンデモ歴史観のネックは鎌足と不比等だ。
何から書いたらいいか分からないほど問題だらけだ。

問題が大きすぎて問題の全容も見えてない。


鎌足は天智天皇と一緒に大化の改新をした人。
出生地について諸説ある中、常陸国鹿島だと考えている。

鎌足R0021748 鎌足R0021749

そうでなければ鹿島神宮が「神宮」と呼ばれる意味が分からない。
藤原氏の氏神は春日神だが、春日大社の鹿は鹿島神宮から送られたという。

日本武尊の東征が関係あるのかもしれない。



kituno氏のまとめが詳しく解り易く勉強になる。

http://www.geocities.jp/kituno_i/kituno/ooomi.natatomi.html">kitunoの謎シリ−ズ(4)中臣鎌足の謎
http://www.geocities.jp/kituno_i/kituno/ooomi.natatomi.html
>「中臣鎌足常陸出身説」の代表的存在でもある樋口清之氏は、天皇家は砂鉄の産地であった鹿島出身の中臣氏が持つ「鉄と製鉄技術」に惹かれ、中臣氏と手を結んだと大胆な説を述べられています。

「鎌足」や「鎌子」という名前からも、鉄と中臣の関係が伺われ
、「火と製鉄」の関係から「祭祀を司る者」「神と人の中を火(煙)によってとりもつ者」としての中臣氏の役割が見えてくると私は考えています。
<



さて、この鎌足が最初に手を結んだのは畿内の蘇我王家だと考えている。

もちろん日本書紀には書いてない。
そもそも日本書紀の目的は天皇家の正当性を確立するためだから、天皇家の正当性を妨げる事を書くはずがない。

天皇家の正当性とは文武天皇の正当性だ。
その証拠に日本書紀は持統天皇が孫の文武天皇に譲位するところで終わっている。

天照大神が孫の瓊瓊杵尊に日本を統治させる天孫降臨神話は文武天皇のために書かれた。

神武東征神話は持統天皇が夫の天武天皇とともに九州から遷ったことを正当化する物語だ。
 →斉明天皇は九州へ出兵したのだろうか


いやもとい。
自説では鎌足が鹿島から畿内に移った時、畿内は蘇我国だった。
九州太宰府に天皇家の大和国があった。
 →九州系倭人による東日本統一



7世紀の日本列島にはいくつもの国が並立していたと考えている。
朝鮮半島に百済、新羅、高句麗があったのだからそう考えた方が自然だ。




もとい。
鎌足は最初畿内の蘇我国に仕えた。
645年、九州の天智天皇と共に蘇我国を倒し
669年、没して阿武山に葬られた。


鎌足の子の不比等は娘を文武天皇と聖武天皇に嫁がせ、聖武天皇の娘、孝謙天皇は宇佐八幡宮に託宣を委ねた。
 →宇佐神宮 古墳調査と宮内庁

不比等は天智天皇の子かもしれないという。


話が鉄から遠ざかってしまった。




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