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勒島遺跡 2

勒島遺跡は紀元前後のものだ。

倭人伝によると、その頃、倭人が朝鮮半島で鉄を採っていたという。
実際、半島南部の遺跡には九州北部と共通するものが多い。

九州北部の国は半島の鉄を採って畿内へ供給することで潤っていたと考えている。


一方、勒島には鳥取県青谷上寺地遺跡と共通する卜骨集積遺構があるだから、出雲系の倭人たちが来ていたのではないか。

勒島の倭人は半島本土に住むのを遠慮していたのではないか。
なぜ遠慮していたのか。

半島には九州系倭人が住んでいるので、出雲系倭人は入りにくかったのではないか。
九州の倭人も自分たちの利権を守るために出雲系を歓迎しなかったのではないか。



そのうえ、勒島は、倭の北限である狗邪韓国(伽耶=任那)の中心地、金海や釜山との交易ルートからも外れている。
出雲系の倭人が交易するのに都合の良い島だったのではないか。


そんなふうに考えた。
このことは2007年にYahoo!掲示板に書いた。(ID:hituji3386)
日本史 > 邪馬台国論争が好きな人集まれ!!>Re: 勒島

勒島が金海や釜山との交易ルートから外れていることを問題提起してくれたパパさんに感謝。




以下、旅のメモ:

2005年12月8日午後2時半に勒島に着いた。

港にいたお母さんに勒島遺跡は何処か、韓国語が出来ないので身振り手振りで聞いた。

ありがたいことにお母さんは片言の日本語が出来て、親切にも遺跡が出た国民学校まで案内してくれた。
途中「遺跡発掘の作業を手伝った。道路からも遺跡は出た」と教えてくれた。

勒島P1020162 勒島P1020159
港から道路を挟んで南にある遺跡の中心地(遺跡は埋め戻されたという)と看板。
日本語の説明がないのがさみしい。

勒島P1020190 勒島P1020193
左:港の近くの住宅地には沖縄に似た石垣が多かった。
右:港の近くにも貝塚の看板を発見。看板下の白いのはゴミではなく貝塚の貝。


勒島P1020197
バスの本数が少なかったので泗川バスターミナルまで歩いて戻った。
途中、半島側の道で頭に荷を乗せた女性を見た。
頭に荷を乗せた姿は平安時代の絵巻物に多く描かれている。
この風習は日本ではいつ頃なくなったのだろう。



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