Entries

環太平洋文明02

NYメ_R0010468 NY自_R0010674
左:メトロポリタン美術館 オセアニア   右:アメリカ自然史博物館

ベトナム耳飾り
ベトナム MNONG族の女性

「耳飾り 縄文」で画像検索すると同じ形がたくさん見つかる。

http://control.blog.fc2.com/control.php?mode=editor&process=new">wikipedia>日本における装身具の歴史>耳飾
http://control.blog.fc2.com/control.php?mode=editor&process=new
■全文引用
縄文時代には石を円形に刳り抜き、一部を削り取った玦状耳飾や、耳栓状耳飾が出土しており、主に女性の耳朶を穿孔してその孔に装着したと考えられている[4]。これは中国との交流によって日本に移入された文化と推察され、人生の節目を自覚させるため、結婚や成人など通過儀礼の際に用いられたと指摘されている[5]。
しかし、この風習は弥生時代に入る頃にはほとんど見られなくなる[* 3]。この理由としては、高倉洋彰が『交流する弥生人』(2001年、吉川弘文館)で言及している耳朶の大きさの変化、浜本隆志が『アクセサリーが消えた日本史』(2004年、光文社新書)で言及している狩猟文化から農耕文化へと移り変わる過程でのアニミズムの変化など諸説がある。
さらに時代が移り古墳時代に入ると、遊牧騎馬民族(スキタイ)の影響と見られる垂れ飾りの付いた環状の金属製耳飾が出現している[6]。これらは埴輪などに見られる痕跡から主に貴人が装着したと見られ、死後には埋葬品の一種として墓へ入れられた。近藤義郎は自著『農民と耳飾り』(1983年、青木書店)で、こうした耳飾り文化は支配者階級だけでなく、一般庶民にも広く普及していた可能性があると言及している。




さて、玦状耳飾は中国から移入されたのだろうか。
2004年発行の「季刊考古学 第89号 縄文時代の玉文化」P71 には以下のようにある。
単なる年代数値の鵜呑みでは玦状耳飾は日本列島から大陸に渡った文化遺物としなければならない。そのような状況ではまさに玦状耳飾は「日本自生」になってしまう。


まったく!
玦状耳飾が「日本自生」だと拙いような書きぶりだ。

玦状耳飾は日本と中国だけでなく台湾にも多い。
耳栓状耳飾は東南アジアやアメリカインディアンに同じものがある。
耳飾りは海の民に共通の装身具なのだから「中国から日本に移入された」とは思えない。

弥生時代に耳飾りがすたれた原因も納得できる説明ではない。
玦状耳飾と一緒に出土するペンダント(垂飾)もすたれた。

一方、縄文時代からある勾玉は古墳時代まであった。
その後、実生活からは消えたけれど三種の神器として現在もある。

日本ではすたれた耳飾りやネックレスを東南アジアやアメリカでは使い続けた。
なぜだろう。いろいろ不思議だ。


参考:http://homepage3.nifty.com/kamosikamiti/study/kannihonkai.pdf">玦状耳飾系統・起源論概観
   http://homepage3.nifty.com/kamosikamiti/study/kannihonkai.pdf



.
関連記事
スポンサーサイト



この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
http://zaru3386.blog.fc2.com/tb.php/216-53535c72

トラックバック

コメント

コメントの投稿

コメントの投稿
管理者にだけ表示を許可する

Appendix

プロフィール

ざる

Author:ざる
ganko*k8.dion.ne.jp(*→@)
リンク・引用:フリー(連絡不要)
書籍やネットからの引用文は
緑色にしています。

アップ後1ヶ月以上経った記事の変更は追記にしますが、アップ後数日の記事はことわりなく修正する事が多いです。

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード

QR