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近代中国と日本

アヘン戦争で西側列強の半値民地の国となっていた中国の有識者たちは
民族の復興をはかり、欧米に学ぶことを主張した。

1972年 清朝政府は30人を最初の留学生としてアメリカに、
     つづいてドイツ、フランスに留学生を送る。

1894年 日清戦争で清朝は、自国よりはるかに小さい日本に敗れ、
     「西側近代文明を学ぶ日本」への留日ブームが生まれる。

1895年 孫文、清国打倒のため日本に亡命。
     (漢民族の孫文は満州民族から独立したい。辮髪もやめたい。)

1896年 清朝政府が13人の中国人留学生を日本に送る。
     以後10年間で中国人留学生は8000 人に上った。
     ・中国国民党〈蒋介石汪兆銘胡漢民など〉
     ・中国共産党〈陳独秀周恩来など〉
     ・文化人  〈魯迅周作人郭沫若など〉

1911年 孫文を中心に辛亥革命(共和主義革命)が興る。
     孫文を大総統に南京に臨時政府をつくり、中華民国成立を宣言。

1913年 孫文が袁世凱に政権を譲り、袁世凱が初代大総統に就任。
     宣統帝(溥儀)を退位させ、清朝は滅亡した。
     →溥儀は退位後、満洲国の康徳帝となる。


この後、袁世凱は孫文を排して独裁権力をふるうが、第一次大戦後、21か条要求を受諾。
それにより中国の民族主義が高まり、日中関係が悪化した。

一方、蒋介石は東京に留学中に孫文と知り合い、辛亥革命に加わり孫文に師事した。
孫文の死後、北伐に成功し南京政府の実権を握り、日中戦争中は抗日戦を遂行。
終戦後、中共軍に追われ、台湾に移った。


メモより(リンクはすべてwikipedia)
※wikipediaには偏りを感じることもあるが、執筆者は多いのでリンクを辿ることで補えると思っている。

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