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日本の稲作@佐藤洋一郎氏

弥生時代の水稲もいわれているほど盛んではなかったと思う。
農学博士の佐藤洋一氏がそのように言っていたし、私もそう思う。と書いた。
(@五斗米道と大和朝廷の祖)


随分前に佐藤洋一郎氏の講演会でそう言っていた。

講演会メモ:

「縄文稲作と農耕の世界」佐藤洋一郎 2004/06/16

6月15日 18時〜20時 シルクロードの会の講演会に参加した。復習をかねて。
大変お話が面白くて、あっという間の2時間だった。ほんとに面白い。

縄文のプラントオパールを検出した藤原浩志氏が日本の考古学者にいじめられている。
しかしいじめられれば強くなるからいいんだ。と本音とも思えないことを言っていた。
(ご本人もいじめられているんだろう…)

・焼畑(陸稲)の生産高
 初年=200-250kg/10a 2年目=150kg/10a・・・4年目はもう作らない

・弥生の米は縄文の米と同じ種類

・米の生産高は弥生から明治まで160-180kg/10aだった
 苗代と肥料と品種改良によって明治以降急激にあがり、現在は500kg/10aである

曲金北遺跡 1700年前の田が1万枚あり、すべてからプラントオパールが出土した
 しかし雑草の種もたくさん検出された。大洪水で埋もれたため遺跡として残った。
 プラントオパールは数年分のもの、雑草はその年のものである。
 →休耕田が多かったことを示している

・荘園の考古学 中世末まで荘園にも休耕田があった
 休耕田がなくなったのは秀吉が太閤検地以降である



学界は大陸から稲作を知っている進んだ人々が来て弥生時代になった。稲作は生産性が高いから余剰米ができて権力者を生んだ。縄文時代はダメダメだった。と印象付けたかったんだろうけれど、科学が発達して弥生時代の米フィーバーが幻想だったとわかって来た。

この件には「日本人の主食は米か?」でも触れたが、わかりやすいサイトがたくさんある。


参考:
http://www.athome-academy.jp/archive/biology/0000000116_all.html">教授対談シリーズ こだわりアカデミー 稲のたどってきた道
http://www.athome-academy.jp/archive/biology/0000000116_all.html
概要:縄文時代の地層から、稲のプラントオパールが続々と検出されている。
   弥生時代の曲金北遺跡では水田で陸稲を栽培していた。
   曲金北遺跡に限らず水田跡は見掛けは水田でも実際は焼畑などの雑駁農耕だった。



http://inoues.net/study/japonica1.html">邪馬台国大研究ホームページ 見えてきた稲の道1
http://inoues.net/study/japonica1.html
概要:弥生時代の従来水田跡と言われてきた部分は、実は大半が休耕田である。
   縄文時代の稲(熱帯ジャポニカ)が弥生〜古墳〜江戸時代に栽培されている。
   弥生時代に外部からやってきた稲はあったとしても極めて少ないと考えられる。

従来考古学者達は、縄文時代に稲作があったということをなかなか認めようとしなかった。これは遺跡から水田跡が発見されないからであるが、稲作=水田稲作という図式は実は正しくない。インドシナ半島辺りで行われている焼き畑での稲作(陸稲)などは非常に高い生産性を上げているし、我が国の初期の稲作もこの焼き畑、或いは直播きによる稲作であろうと考えれば、水田はなくて当然なのだ。




繰り返しになるが、日本人の主食が米になったのはいつからだろう。
なぜ今の日本人は米を特別視しているのだろう。
そんな疑問から、米を貨幣の代わりに納めさせた大和朝廷が米を神聖視し始めたのだと思うようになった。




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[C43] 感想

「なぜ今の日本人は米を特別視しているのだろう。
そんな疑問から、米を貨幣の代わりに納めさせた大和朝廷が米を神聖視し始めたのだと思うようになった。」

佐藤教授の研究した稲作の起源の科学的解明とは別の、鋭い探求の感覚を上記の指摘・問には感じる。

私もこれにいくらか関心を持続していて、今唯一無条件に信じているのは、吉本隆明氏が『海上の道』の評論で指摘した、稲の伝達者は稲を「自己表出」として、あるいは信仰として、一群の信奉者達(天皇家がイメージされる)が、日本を南北に縦走し広めた、というものだ。
ご参考になれば。

[C44] コメントありがとうございます

コメントありがとうございます。

古来、日本人にとって米は貨幣でもあった。
というのは私の歴史観の中でも重要な部分です。

施政者にとって貨幣は国運営の根幹であるはずなのに
日本では銅銭に対する思い入れが少ない気がしていたのですが、
その理由も貨幣に代わる「米」があったからだと説明できます。


この項にコメント頂き、大変嬉しいです。


吉本隆明氏の紹介、ありがとうございます。
「吉本隆明 海上の道 稲」でググっていくつか読んでみました。

が、形而上的思考は崇高で近寄りがたいです。

世の中は案外単純なのに
頭の良い人達は理屈をこねくり回しているようにさえ感じます。

教えていただいたのについていけないバカですいません。
これに懲りずまたご教授いただきたいです。

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