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五斗米道と大和朝廷の祖

随分前に道教(Paula R. Hartz 青土社 1994)を読んだ。
今は改訂版(@amazon)が出ているようだ。

その時のメモより:
道教には創始者・中心的人物がいない。布教しない。天国での復活も輪廻もない。
自然の道。

高い精神を得るには健康な肉体が必要。→養成法(瞑想・無為)
高い精神を得ると長生きでき、卓越した人は不老不死となる。→神仙

・低いものは落ちることがなく、曲がるものは壊れない
・上善は水の如し(水こそ道に近い存在だ)
・政治家はいたずらに施策を加えて干渉するべきではない

黄帝(BC2696-2598)   龍にまたがり昇天して神仙になる
老子(BC6世紀)    牛にまたがり周を出る。道徳教はBC4世紀頃の複数人の収集
荘子(BC369-280)    老子に学び、庶民にわかる説明をする
劉安(BC?-122)    劉邦の孫。淮南王「淮南子」

大平道(張角・?-184) 儒教が衰えた頃、はじめて組織化。黄巾の乱
天師道(張陵・34-156) 仏教を手本に老子を神格化し、自ら初代天師となる
五斗米道        教団維持のため家ごとに五斗の米を奉納させる


★五斗米道が大和朝廷の租の見本なのかもしれない。
日本の租庸調は唐の制度を継受したものだというが、唐の公課は穀物(租)・布帛(庸調)で米ではない。

【五斗米道】
信者が五斗の米を納めたことからこの名があるが、五斗米という数は漢代の県令の五斗禄に由来する。

漢も米にこだわっていなかった。米を徴収したのは道教だった。
メモは以上


五斗米道はwikipediaに「後漢末に張陵(張道陵とも)が、蜀(四川省)の成都近郊の鶴鳴山(あるいは鵠鳴山とも、現在の大邑県)で起こした道教教団」とある。

道教はwikipediaに「道教は漢民族の土着的・伝統的な宗教である。」とある。
漢民族の定義が曖昧だが、現在、少数民族でない中国人を漢民族というなら古代蜀にいたのは漢民族ではない。


それはおいておいて。
米が日本で神聖視されるのは大和朝廷が米を貨幣の代わりにしたからではないかと考えている。
米自体は陸稲として縄文時代から作っていた。
弥生時代の水稲もいわれているほど盛んではなかったと思う。

農学博士の佐藤洋一氏がそのように言っていたし、私もそう思う。(この件は別項で)

その米を貨幣の代用にしたのは大和朝廷だが、大和朝廷の発明ではなく、五斗米道に習ったのではないだろうかと考えた数年前の私、よくやった。


ともあれ日本では米を租税として納める体制が大和朝廷から江戸幕府まで続いた。
日本人にとって米はお金でもあったのだから、現実の食料としての米以上に神聖視されるのは当然だと思う。




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