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騎馬を始めた人々

日本人の来た道 04 馬車は陸の船だった
馬車の発明が数千年前で、乗馬はその後らしい。」と書いた。

東南アジアで水牛に乗るのは当たり前だし、シベリアの民(私見ではインドシナ半島経由の南回り人)もトナカイに乗る。数千年前までは、そういったモンゴル系というのかチュルク系というのかわからないけれど、そういう南回りの人々が中原にいた。
この中原の先住民が西から馬車に乗ってやって来た人々によって南北に追いやられ、南の高地に追いやられたのがチベット人で北の寒冷地に追いやられたのが北方民族で、彼らが馬を手に入れて乗り始めたのではないかと思っていた。

P1010498.jpg
(ミャンマー インレー湖近く)

そのことを書こうとwikipediaを見ていたらどうもウクライナに最古の遺跡があるらしい。

馬の家畜化>騎馬の起源(@wikipedia)
ところで、デレイフカ遺跡では東端の恐らく祭祀場と思われる場所から、1頭の馬の頭骨と左前脚の骨が出土している。
…(中略)…これは目下のところ世界最古の騎乗の痕跡である。馬に騎乗しないのであればハミは必要にならないし、車輪が発明されていなかった当時では馬車ということもあり得ないのである。 デレイフカ遺跡があるウクライナでは紀元前8世紀に世界最古の騎馬民族国家を建国したスキタイ人が登場している。デレイフカ遺跡での騎乗の目的は現在においても定かではないが、スキタイ人の騎馬文化の源流がここにあるべきと考えることもできる。



参考:
デレイフカ遺跡(@wikipedia)
ウクライナのドニエプル川西岸に位置する、銅器時代、スリェドニィストーク文化の遺跡である。年代は紀元前4000年頃と推定される。ここで出土した骨製・鹿角製のハミ留らしき出土品等は、世界最古の騎乗の痕跡ではないかと考えられている。

参考:馬車>馬車の歴史(@wikipedia)
馬車がいつ何処で発明されたか明らかではないが、インダス文明の遺跡であるハラッパーからは、轍(わだち)がある道路跡が発掘されている。

紀元前2800~2700年の古代メソポタミアの遺跡から、馬車の粘土模型が発掘されている。この模型は2頭立て2輪の戦車(チャリオット)であった。戦車は古代オリエント世界と古代中国の商(殷の墳墓から戦車と馬の骨が多数出土)から周時代などで広く用いられた。



ハラッパーも紀元前3300年~同1700年前後というから騎馬は馬車より前なのか。
wikipedia馬の項を見ると騎馬は馬車の後と思えるのだけれど・・・。


参考:ウマ>人間によるウマ利用の歴史(@wikipedia)
…(前略)…純粋な野生のウマは、原産地の北アメリカを含め、人間の狩猟によりほとんど絶滅した。

紀元前4000年から3000年ごろ、すでにその4,000年ほど前に家畜化されていたヒツジ、ヤギ、ウシに続いて、ユーラシア大陸で生き残っていたウマ、ロバの家畜化が行われた[4]。 …(中略)…同じく紀元前3500年ごろ、メソポタミアで車が発明されたが、馬車が広く使われるようになるのは紀元前2000年ごろにスポークが発明されて車輪が軽く頑丈になり、馬車を疾走させることができるようになってからである。

馬車が普及を始めると、瞬く間に世界に広まり、地中海世界から黄河流域の中国まで広く使われるようになった。

…(中略)…一方、メソポタミアからみて北方の草原地帯ではウマに直接に騎乗する技術の改良が進められた。こうして紀元前1000年ごろ、広い草原地帯をヒツジ、ヤギなどの家畜とともに移動する遊牧という生活形態が、著しく効率化し、キンメリア人、スキタイ人などの騎馬遊牧民が黒海北岸の南ロシア草原で活動した。騎馬・遊牧という生活形態もまたたくまに広まり、東ヨーロッパからモンゴル高原に至るまでの農耕に適さない広い地域で行われるようになった。


これだから歴史は難しいし面白い。




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