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日本人の来た道 04 馬車は陸の船だった

数千年前に馬車が発明されてから、中国大陸の西から山を越えて来た人々が、先住民を南北に押しやり、主流になった。書いた
こう考えるようになるには時間がかかった。

アフリカで生まれた人類はカスピ海のあたりから中国やシベリアに広がって旧石器時代を過ごし、やがて日本に辿り着いた。と刷り込まれていたからだ。

しかしそれでは説明つかないことがたくさんある。
それらを列挙してみる。

□日本の衣食住は東南アジアと似ている。
一方、日本語とモンゴル語はかなり似ていて遺伝的にはチベット人と似ている。

□アフリカからインド・東南アジアに向かった人々は数万年前にはオーストラリアに辿り着いている。
オーストラリアに数万年前に辿り着いているなら日本や中国大陸にも辿り着いていてもおかしくないのではないか。

Map-of-human.jpg (wikipediaより)
2008051419-1.jpg(University of Texasより)



□中国からシルクロードを通ってトルコに行きたくて旅行記をたくさん読んだが、パミール高原を越えるのはバスでもかなりキツいらしい。
そんな峠をバスのない数万年前の人たちはどうやって越えたのだろう。
男だけが越えたのでは子孫が作れない。



■モンゴル語と日本語は似ているけれど日本人は海洋民族でモンゴル人は騎馬民族だ。
モンゴル人と日本人が似ていることも日本人が大陸から来た根拠のひとつになっている。

しかし騎馬民族とはなんだろう。
馬車の発明が数千年前で、乗馬はその後らしい。
だったら馬に乗る前のモンゴル人は何をしていたのだろう。
やはり遊牧をしていたのだろうか。

○○民族というのは生態であって種族ではない。
海があるところに海洋民族がいて内陸の乾燥地帯に遊牧民がいるのは事実だが、海洋民族が内陸に移れば遊牧民になるしかないのではないか。

□チベット人と日本人のDNAは似ていると書いたが、羌の末裔がチベット族だといわれている。
だったらモンゴル人の祖先もチベット人の祖先も・・・羌も匈奴も突厥もみなインドシナ半島経由の海洋民族だったのではないだろうか。

□長江上流の三星堆遺跡は海洋民族のものだといわれている。
三星堆に鵜の青銅があるが、鵜飼の鵜は海鵜だという。


■数千年前、馬車が発明されて初めてパミール高原や天山山脈を越える北の回廊が開かれたのではないだろうか。
馬車は陸の船だ。船なら男だけでなく女や子供、老人、家畜、家財も運べる。
そしてその人たちが一気に中原を変えたのではないだろうか。

□牛河梁遺跡の青い目の女神とともに、中国の古代遺跡にはコーカソイド系ミイラが多い。
参考:http://bbs.jinruisi.net/blog/2006/11/000060.html">中国古代遺跡で発掘された「青い目の女神像」
http://bbs.jinruisi.net/blog/2006/11/000060.html


日本人の来た道 01
日本人の来た道 02 中国はヨーロッパと似ている
日本人の来た道 03 中国の周辺国
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