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九州の仏教と畿内の仏教

前提 !Σ( ̄□ ̄;)
7世紀まで九州の大和国(天皇家)と畿内の蘇我王国が並立していた。

九州の大和国は半島南部で鉄を採り、百済と親しく、南朝と交流していた。
畿内の蘇我王国は砂鉄による製鉄が開発されて勢力を伸ばし、新羅や高句麗と交流があった。


概要
□九州の大和国が取り入れたのは江南の仏教。
 日本書紀応神37年「縫工女を求めてアチノオミ、ツカノオミを呉に送る」とあるのは
 九州天皇家の逸話。

□畿内蘇我王家が導入した仏教は新羅、高句麗系の仏教。
 蘇我馬子が建立した飛鳥寺の伽藍配置は高句麗の形式で、
 仏像は止利式といわれる北魏様式だった。

□7世紀に九州天皇家(大和国)が畿内に遷り、畿内も江南の仏教が主流になった。


渡来僧
日本書紀には596年、飛鳥寺に高句麗僧慧慈と百済僧慧聡がいたとある。
 参考:慧慈(@wikipedia)

不仲だった高句麗と百済の僧が日本で生活をと共にするだろうか。
九州天皇家の観世音寺に百済僧が、畿内蘇我王家の飛鳥寺に高句麗僧がいたと考えたい。
(この件はヤフー時代に無党派さんに指摘していただいた。)


百済と新羅の王子
 仏教ではないけれど、百済と新羅の人質としての王子の話。
 不仲の百済と新羅が「同じ倭国」に王子を出すわけがない。
 敵の同盟国は敵だろう?
 
 百済の王子は九州の大和国に、新羅の王子は畿内(あるいは出雲)に来たのだろう。




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