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斉明天皇は九州へ出兵したのだろうか

天皇家は九州にあり白村江の敗戦後、畿内の蘇我王国を乗っ取ったと書いた。

そう考えるに至る前、日本書紀の複雑怪奇な構成が不思議だった。
盛りだくさん過ぎてスッキリしない。
それで、日本書紀は畿内の歴史と九州の歴史のよいとこ取りをしているのではないかと思い始めた。


特に不思議だったのが661年、斉明天皇(68歳)の難波から九州への出兵だ。
しかも出兵途中、同行した大田皇女が女児を出産している。

老女や妊婦が戦地に向かうのはヘンだし、出兵した斉明天皇は朝倉宮で死去してしまった。
これはもう戦争の足手まとい以外のなにものでもない。

斉明天皇最後の地、朝倉宮は博多湾からみると太宰府の奥にある。
 参考:朝倉宮@wikipedia
    朝倉市大字須川@google_map
   
だったら、筑紫太宰府にいた斉明天皇と大田皇女は白村江の戦乱を逃れて朝倉宮に避難したのではないか。

その方がずっと現実的だ。

白村江の戦いは唐新羅連合軍と太宰府の戦いであり畿内は関係ないのではないか。
だったら畿内には大化改新まで蘇我王国があったのではないか。

そう考えた方が理に適っているのではないか。

百済や新羅との関係も、百済と太宰府、新羅と畿内、と分けた方がスッキリする。

そして甘木朝倉は畿内と地名の相似関係にある
 参考:http://yamatai.cside.com/tousennsetu/yasumotosetu3.htm#timei">第三章  神話のなかの地名(邪馬台国の会より)
    http://yamatai.cside.com/tousennsetu/yasumotosetu3.htm#timei


わたしはトンデモだろうか?

仏教の導入も九州と畿内の仏教は別だったと考えると納得できる。
天智天皇の近江大津宮も琵琶湖畔のわけがない。
・・・書きたいことだらけなのに何から書いたらいいかわからない。




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