明治大正期のアイヌの記録写真に「竪穴住居」を見つけた。
資料:
[写真番号] 1057 千島アイヌの竪穴住居。おそらく色丹島と思われる。 東京大学総合研究博物館データベースより
(八)千島土人の家屋及び男女 国立国会図書館 近代デジタルライブラリーより
しかしアイヌの建物としては高床建物や平地建物のチセが一般的だ。
資料:
[写真番号] 1081 北海道アイヌの倉。 東京大学総合研究博物館データベースより
(四)アイヌの家屋納屋及び熊檻 国立国会図書館 近代デジタルライブラリーより
シベリアの遊牧の民は今も冬の住居と夏の住居を住み分けていると聞く。
オホーツクのある村ではある日、村ごと、冬の住居から夏の住居に移動するという。
千島アイヌの竪穴住居は季節の住居ではないのか、あるいは農繁期のための小屋ではないのか。
梅雨のない北海道ならシベリアの遊牧の民と似た生活も可能かもしれないが、湿度が高い本州以南で竪穴に住むと言うのは健康にも悪いと思われる。
日本書紀景行天皇40年秋7月「(東夷は)冬は穴に宿り、夏は木のうえに家を構え住む」とある。この東夷は「最強の蝦夷」という設定だ。
当時の日本人が竪穴住居に住んでいなかったからこその表現でもあろう。
また石窟に住むという土蜘蛛はいわゆる窰洞(ヤオトン)、横穴住居であり竪穴住居ではない。
住居の形式は平地住居、高床住居、窰洞(ヤオトン)のような横穴住居、船の家などいろいろあるが、全て古代から現代まである。
唯一、いわゆる「竪穴住居」だけが、昔あって、今、ない。
だったらいわゆる「縄文・弥生時代の竪穴住居」は住居ではなく、貯蔵穴あるいは薫製小屋だったのではないか。縄文の一時期、人口が東日本に偏っていたという。竪穴建物の遺構数からそういわれているのだろう。しかし竪穴建物が室であるならば、寒い東日本に室が多いのは当然で、人口とは関係ない。
それにしてもアイヌの高床建物は東南アジアの高床建物とそっくりだ。
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