Entries

【インドネシア 08-a】スクー寺院

インドネシアの旅 2007.12.14-a

インドネシアの旅はどこもかしこもすべて素晴らしかったけれど、
ソロ近郊のスクー寺院とチュト寺院は格別だった。

写真も山ほど撮ったけれど、ネット上に同じような写真がたくさんあるので抑える。
Candi Sukuh」で画像検索
スコールと青い空さんの「スクー寺院」など。
YAKKUM Craftさんの「近くの観光案内」には分かりやすい地図写真があった。


■ 8:00 ソロのバスターミナルからカランパンダンへ 5000ルピア/66円
  9:00 カランパンダンからミニバスでグロロへ   3000ルピア/40円
  9:30 グロロからバイクタクシーでスクー寺院へ  10000ルピア/132円

スクー寺院でバイクタクシーにチェト寺院経由でクロロまでを申し込む。
50000ルピア/660円だった。足が確保できたので安心してスクー寺院を見学する。


スクー寺院
wikipediaにマヤ神殿建築との類似性が書かれている。
スクー寺院は、マヤ文明のティカル神殿やラマナイのスタッコ人頭神殿との類似性がしばしば指摘されるが、成立年代や基本的な建築設計が異なる。

スクー寺院だけでなくバリ島ヒンズー寺院もマヤ神殿と似ていると思う。


wikipediaからもう一カ所引用
この寺院が建造されたと推定される15世紀のジャワ島はマジャパイト王国の時代(1293–1500)である。…(中略)…仏教、シヴァ教(ヒンドゥー教シヴァ派)などの外来宗教文化がジャワの伝統文化と混淆した。王は「シバ・ブッダ」という称号を名乗ったという。

一方日本は平安時代以降、仏教と神道を混淆した。(本地垂迹)



http://www1.tcat.ne.jp/eden/Hst/indonesia/index.html" target="_blank" title="インドネシア歴史探訪">インドネシア歴史探訪の「マジャパヒト王国」を見ると13世紀末にモンゴルが遠征している。

1289   東ジャワのシンガサリ朝第5代クルタナガラ王は、元のフビライの使者を
     侮辱して追い返す。
     …(中略)…
1292〜1293 元軍襲来。
     ラーデン・ヴィジャヤはモンゴルと結んでジャヤカトワンを倒し、次いで
     元軍を駆逐し、マジャパヒト王国を開く。



モンゴルはこの直前、日本に遠征(1274年・1281年)している。モンゴルすごい。
てか、フビライの使者を侮辱して追い返したインドネシア人強い。

尼14so_RIMG6077 境内配置

尼14so_RIMG6079 1

尼14so_RIMG6076 2
階段下の石皿を見て神社の清めの水盤を連想したのだが偏っているから?
今度行ったら何のための石皿なのかぜひ聞きたい。

尼14so_RIMG6067 ■

尼14so_RIMG6000 3

尼14so_RIMG6006 4

尼14so_RIMG6034
4 の後ろに写っている亀。
顔はリアルなのに腕はなぜ擬人化?しているのだろう。
亀の背が平らなのはなぜだろう。これも次に聞きたい。

尼14so_RIMG6009 5a
子宮を現しているのではないかといわれている。

尼14so_RIMG6021 5b

尼14so_RIMG6055 6

尼14so_RIMG6020
5 の周辺にあった記憶だけれどやや曖昧。
インド風のレリーフが多い中、マヤの絵に似ていると思った。

尼14so_RIMG6051 7
神社本殿の裏手もこんな雰囲気だなあと思ったのだけれど偏向してる?


スクー寺院は以上。




.
関連記事
スポンサーサイト



この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
http://zaru3386.blog.fc2.com/tb.php/134-6b797dab

トラックバック

コメント

コメントの投稿

コメントの投稿
管理者にだけ表示を許可する

Appendix

プロフィール

ざる

Author:ざる
ganko*k8.dion.ne.jp(*→@)
リンク・引用:フリー(連絡不要)
書籍やネットからの引用文は
緑色にしています。

アップ後1ヶ月以上経った記事の変更は追記にしますが、アップ後数日の記事はことわりなく修正する事が多いです。

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード

QR