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インドネシアの旅(2007年)

ジャカルタの博物館で見た巨石文化時代の墓の壁画をアップしたくて写真を見ていたら旅全体を日記にまとめたくなった。

できれば何ヶ月も気の向くまま旅したかったけれどそうもいかないので効率よく回るため計画を立てた。計画通りとはいかなかったけれど良い旅だった。

2007年12月7日〜27日
12.07.金【インドネシア 01】成田→ジャカルタ
12.08.土【インドネシア 02】ジャカルタ
12.09.日【インドネシア 03】Taman Mini Indonesia Indah
12.10.月【インドネシア 04】ジャカルタ→ディエン高原
12.11.火【インドネシア 05】ディエン高原
12.12.水【インドネシア 06】ボロブドゥールとプランバナン周辺
12.13.木【インドネシア 07】プランバナンとサンギラン
12.14.金【インドネシア 08-a】スクー寺院
12.14.金【インドネシア 08-b】チュト寺院
12.15.土【インドネシア 09】ソロ→ブロモ山
12.16.日【インドネシア 10】ブロモ山→バリ島デンパサール
12.17.月【インドネシア 11】バリ島デンパサール
12.18.火【インドネシア 12】ロンボク島マタラム
12.19.水【インドネシア 13】ロンボク島西ヌサ・トゥンガラ国立博物館
12.20.木【インドネシア 14】バリ島→スラウェシ島タナ・トラジャ近く
12.21.金【インドネシア 15-a】タナ・トラジャ1日目前半
12.21.金【インドネシア 15-b】タナ・トラジャ1日目後半
12.22.土【インドネシア 16】タナ・トラジャ2日目
12.23.日【インドネシア 17】スラウェシ島マカッサル
12.24.月【インドネシア 18】バリ島ウブド 博物館
12.25.火【インドネシア 19】バリ島ウブド ブサキ寺院
12.26.水〜27.木【インドネシア 20】バリ島→成田


■出発時の予定
────────────────────────────────
2007年12月7日〜27日
07.金 成田→台北→ジャカルタ       ジャカルタ泊
08.土 博物館・港・書店          ジャカルタ
09.日 TMII→(バス or 鉄道)→チルボン   チルボン
10.月 チルボン→ディエン高原       ディエン高原
11.火 ディエン高原→ボロブドゥール    ボロブドゥール
12.水 ボロブドゥール→ジョグジャカルタ  ジョグジャカルタ
13.木 ジョグジャカルタ          ジョグジャカルタ
14.金 ジョグジャカルタ→プランバナン   プランバナン
15.土 プランバナン→ソロ         ソロ
16.日 ソロ                ソロ
17.月 ソロ→ブロモ山           ブロモ山
18.火 ブロモ山→バリ島          バリ
19.水 バリ島→(船5h)→ロンボク島     ロンボク島
20.木 ロンボク島             ロンボク島
21.金 ロンボク島→バリ島         バリ島
22.土 バリ→スラウェシ島 タナ・トラジャ タナ・トラジャ
23.日 タナ・トラジャ→マカッサル     マカッサル
24.月 マカッサル→バリ島         バリ島
25.火 バリ島               バリ島
26.水 バリ→台北             台北
27.木 台北→成田            
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■勉強させていただいたサイト
http://www1.tcat.ne.jp/eden/Hst/indonesia/index.html">インドネシア歴史探訪
http://www1.tcat.ne.jp/eden/Hst/indonesia/index.html

http://www.jttk.zaq.ne.jp/bachw308/index.html">インドネシア専科
http://www.jttk.zaq.ne.jp/bachw308/index.html

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■インドネシアの予習(上のサイトからの引用)

□紀元前8000年 後期旧石器文化
 ネグリトとプロトマレーが住む 剥片石器を中心とする

□紀元前5000年 ホアビン文化(中石器文化)
 モンゴロイドで、原住プロトマレーと混交。
 バタック族(スマトラ島)、ダヤク族(カリマンタン島)、トラジャ族(スラウェシ島)
 オーストラロイドのパプア語族と混ざってメラネソイド(メラネシア人種)となったかも。

□紀元前1500年 アウストロネシア(オーストロネシア)語族
 ※現在インドネシアに住む人々の直接の祖先
 ※中国南東部でヤムイモ、タロイモ、パンノキ、バナナなどの根栽農耕していた人々

□紀元前500年 海洋民族であった西インドネシア語群が栄える
 ※甕棺葬に特徴付けられた彼らの文化は、
  内陸のプロトマレー系狩猟民とは全く異なる。

□前1〜後1世紀 ドンソン文化(青銅器文化・北ベトナムに発祥)
 アウストロアジア語族・稲作農耕

□2〜3世紀頃
 インド商人(後漢とローマの東西貿易の中継基地としてインド経済が爆発的に発展した)
 ※紀元後1世紀半ば(45/47年頃?)にモンスーン(貿易風)を利用する画期的な航海法

□3〜4世紀 東南アジアにインド文化の原理に基づくインド的“ヒンドゥー国家”成立

□4世紀   ヤーヴァドヴィーパ……インドネシアで最も古い国家の記録
       ヤーヴァはサンスクリット語で「大麦」

□414年 『仏国記』……中国僧の法顕、セイロン島から中国に帰る途中、
     「耶婆提(やばてい)」に漂着。「バラモン教が盛んで、仏教は言うに足りない」

□5世紀初頭 ボルネオ島東部に、サンスクリット語の「ユーパ (供犠石柱) 碑文」
□5世紀前半 西ジャワに「訶羅単」という国があり国王はサンスクリット名を名乗る。
□5世紀中頃 西ジャワに「タルマ国(タルマナガラ)」(中国史料では「多羅摩」)

□6世紀   中部〜東部ジャワには「丹丹」という稲作農耕の国。支配層はインド化。
□6世紀頃  ヒンドゥー教だけでなく仏教国家(大乗仏教)も出現。(★1

□607〜610年 赤土国に隋の煬帝が使節を送って以後610年まで隋に朝貢。
□7世紀 シュリーヴィジャヤ王国(★2)(スマトラ島)大乗仏教 赤土国の後
     シャイレーンドラ朝(★3)(ジャワ島)ボロブドゥール寺院

□8世紀   サンジャヤ朝 稲作農耕 ヒンドゥー教
□8世紀後半 サンジャヤ朝はシャイレーンドラ朝に滅ぼされる。

□9世紀初頭 シャイレーンドラ朝の内紛
       碑文からも中国史料からも姿を消す。
□9世紀   中部ジャワにはサンジャヤ朝が復興
       プランバナンを建設(ヒンドゥー教シヴァ信仰)
       スマトラ島でもシュリーヴィジャヤ王国が復活

□10世紀   メラピ山の噴火によりサンジャヤ朝の都は東ジャワへ。


★1 大乗仏教の渡来
これまで見てきた“インド化”された初期王国は、すべてヒンドゥー教を信奉していました。
しかし6世紀頃から、仏教国家も出現するようになります。
しかもそこで行われていた仏教は、スリランカ (セイロン) 島から東南アジアに伝わった上座部仏教(南伝仏教)ではなく、「北伝仏教」と呼ばれる大乗仏教だったのです。
古代東南アジアの大乗仏教は、なぜ、どのように伝わったのでしょう?

これまで見てきた“インド化”された初期王国は、すべてヒンドゥー教を信奉していました。
4〜5世紀の北インドにはグプタ朝という強大な王朝が栄え、東南アジアにも大きな影響を与えていました。
グプタ朝はヒンドゥー教の他、大乗仏教も盛んでした。
グプタ朝は5世紀後半から騎馬民族エフタル(イラン系?)に攻撃され、6世紀中頃までに滅んでしまいます。
ナーランダー僧院から、グプタ王族も含め多くの人々が東南アジアに亡命してきたと考えられるのです。

★2 シュリーヴィジャヤ王国(7世紀後半〜〜14世紀半ば)
マレー人が築いた海上通商国家(マレー人がマレーシアに広がるのは15世紀以降)
束縛を嫌う商人たちの築いた国家なので、豪華な宮殿や大神殿が残されていない
中国文献には、唐代「室利仏逝」、宋代「三仏斉」とある。

〔時代〕 7〜11世紀が全盛
〔地域〕 スマトラのパレンバン、ジャンビ、さらにマラッカ海峡を越えてマレー半島西岸のケダーまでも含む
〔首都〕 パレンバン (副都ケダー)
〔特色〕 マレー商人の海洋帝国。経済的に大繁栄
〔経済〕 海上貿易に依存
〔文化〕 インド文化の影響を受け、大乗仏教を奉じたが、遺跡等はわずか。

★3 シャイレーンドラ朝(8世紀半ばから9世紀半ば)
中部ジャワで強盛を誇った古代インドネシアの王朝。
大乗仏教を信仰し、ボロブドゥール遺跡など多くの仏寺を建立、ジャワ族発展の基礎を築く。
9世紀中頃にはスマトラのシュリーヴィジャヤ王国に合体吸収される。

8世紀後半のある時期、カンボジアのクメール王国を属国としたため
ヒンドゥー教一色だったカンボジアに大乗仏教の仏像が現れる。

767年「崑崙闍婆の賊」がベトナム北部に侵入して放火・掠奪。
774年「死のごとく恐ろしく、悪性で船に乗ってきた人びと」がチャムパ(南ベトナム)を襲撃
787年 再びジャワの軍隊がチャムパを襲う

シャイレーンドラ朝はどこからやってきた?
シャイレーンドラ朝と存続期間が奇妙に一致する国がある。唐の史料に記されている訶陵という国がそれである。


http://www1.tcat.ne.jp/eden/Hst/indonesia/kokkano_tanjou.html など

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やっぱりインドネシアは面白い。
シュリーヴィジャヤ王国やシャイレーンドラ朝は白村江の戦いと同時代だ。
甕棺葬は南インド、インドネシア、台湾北部、北部九州に共通している。
甕棺はスペインの博物館でも見たけれど古代の海の道は侮れない。




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