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南インドと日本 02

南インドのタミルナードゥ州とケーララ州の建築は、木造の多いケーララ州の方が日本と似ているが、山車が多かったのはタミルナードゥ州の方だった。
神輿を担いでいるのを見たのもタミルナードゥ州だ。

タミルナードゥ州の寺院建築の特徴に「末端肥大症」があるそうだ。
神谷武夫氏のサイトは旅行の前に何度も参考にさせていただいた。

末端肥大症」とは、初期のヒンズー寺院は本殿が高く立派なのに次第に四方の門が巨大化する現象だそうだ。


初期の例:ブリハディーシュワラ寺院
(11世紀初頭)
この寺院の境内の倉庫にはたくさんの山車があった。
a6731466.jpg

bae02829.jpg

神谷氏のサイトにある周壁の外から見たブリハディーシュワラ寺院寺院の平面図を見ると本殿が周囲の壁より高く巨大であることが分かる。
ちなみに本殿の高さは63m、頂部には重さ81トンの岩が置かれている。



後期の例:ミーナークシ寺院
(17世紀)
右の大きな塔は門で、本殿は左奥の金色の低い建物。ここで御神輿を見た。
60a72c68.jpg(お土産屋さんの階上から)

P2110561門(ミーナークシ寺院の門)

P2110563門入り口(門に近づく)

P2120626境内から門(境内から眺めた門)

P2120627木の袂(門の脇の神木の袂)

インド探検さんのところに平面図があった。
ミーナークシ寺院周辺はにぎやかで浅草のような印象を受けた。

門の脇の神木の袂に並ぶ庚申塚のようなものは境内に限らず、至る所にあった。
インドネシアやフィリピンにもあるが、南インドは特に多い。


日本の庚申塚や馬頭観音やお地蔵様も同様だが、千葉県立中央博物館にあったパネル「むら境の庚申塚 海上町倉橋」は雰囲気が似ている。
R0021043村の庚申塚(むら境の庚申塚 海上町倉橋)




話を「末端肥大症」に戻すと、本殿よりも門を発達させるのは前方後円墳の方部の発達と重なる。

前方後円墳(@wikipedia)
起源:
日本が起源である前方後円墳についてこれまで幾つかの議論がおこなわれている。最もよく知られているものは、弥生時代の墳墓から独自に発展したものであるという学説である。この説においては従来より存在した円形墳丘墓の周濠を掘り残した陸橋部分(通路部分)が発達し、墓(死の世界)と人間界を繋ぐ陸橋として墳丘と一体化したと考えられる。それに対して梅原末治らは中国大陸からの影響があったとの説を提起していた。梅原は始皇帝陵などの前方に設けられていた祭壇などに由来するとしている。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%89%8D%E6%96%B9%E5%BE%8C%E5%86%86%E5%A2%B3

要するに円墳に溝を掘り、祭祀のために残した通路が次第に巨大化して前方後円墳になった。
神谷氏が「古代エジプトと近世の南インドにしか見られない」と書く様式が日本にもあるのは非常に面白い。
九州の珍敷塚古墳の船と太陽と鳥の壁画がエジプトに通じるというのと合わせてとても興味深い。




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