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南インドと日本 01

前回の国立歴史民族博物館のパネルの部分を拡大する。

展示8-a
R0024829東アジアa

枠の中に銅鐸に描かれた脱穀する人の絵がある。
大阪の国立民族学博物館で見たインドの耳飾りの絵が弥生時代の線画にそっくりなので驚いた。

R0017950インドの耳飾り

もちろん描かれた時代は違うのだろうけれど、インド、特に南インドと日本はよく似ている。
同じく大阪の国立民族学博物館にあったインドの祭りの写真。

R0017944インドの山車


南インドのヒンズー寺院は日本の神社とそっくりで、たくさんの山車があった。
御神輿もあったし、道祖神と同じようなものが寺院や町中の至る所にあった。

8334d47e.jpg(アレッピーの寺院境内)

41889bfa.jpg(マドライ ミーナークシ寺院)

2005年に南インドを旅したときの写真をヤフーフォトアルバムに纏めたのだけれど、サービス終了だそうで見れなくなるのかもしれない。
http://album.yahoo.co.jp/albums/my/89225/
http://album.yahoo.co.jp/albums/my/89332/
http://album.yahoo.co.jp/albums/my/89335/
http://album.yahoo.co.jp/albums/my/89337/
http://album.yahoo.co.jp/albums/my/89556/


南インドと日本はとても似ているけれど、わたしは大野晋氏が唱えるクレオールタミル語説をとらない。(クレオールタミル語説@wikipedia
タミル語を話すタミルナドゥ州ももちろん日本とよく似ていた。しかしタミルナドゥ州は石の文化であり、隣のケーララ州のほうがより日本と似ていた。
ケーララ州の木造建築は日本の神社とそっくりで、漁業が盛んで、識字率が高く、女性が強く、女性の髪に油を塗る習慣をもつからだ。

鬢付け油(びんつけあぶら)はお相撲さんだけでなく、ごく最近まで日本人の必需品だった。



インドはパックツアーでデリーに行った後、ひとりで南インドを回った。
イスラム圏のデリー周辺とヒンズー教圏の南インドは雰囲気が大きく違った。
その南インドもタミルナドゥ州とケーララ州は言葉も文字も違うという。
特にタミルナドゥ州の女性は髪に生花を飾り、ケーララ州の女性は髪を油で整えていたのは対照的で面白かった。

しかし南インドより日本と似ていると思ったのはインドネシアだった。
タイやミャンマーもかなり似ていたけれどひとりではなかったりパックツアーだったりで思うように回れなかった。

自由に見て回ったインドネシア、フィリピン、台湾で一番似ていると思ったのはインドネシアだった。




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