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国立歴史民族博物館 1

4年振りに佐倉の国立歴史民族博物館に行ってきた。
広いので9時半の開館から蛍の光が流れるまで見ても見切れない。

9時半には小学校や高校の団体と一緒で賑やかだったのに午後3時過ぎはがらーんとして係員ばかりが目立った。
場所が不便過ぎる。もうすこし都心近くに作れなかったのか。
佐倉までの時間と交通費が辛い。


小学生が見る「国立」博物館なのに、小学生が日本を好きになれないのではないかと心配になるパネル説明がいくつかあった。

展示1
R0024615琉球との関係

琉球との関係
15世紀に東アジアの交易の中心だった琉球王国は、1609(慶長14)年に薩摩藩に征服され、その支配を受けた。将軍や琉球国王の代替わりごとに将軍に対して使節を派遣することを求められ、18回にも及ぶ国王の使節が江戸と首里との間を往復した。琉球は、中国皇帝へも定期的に使節を派遣し、冊封使を受け入れるという、日中に「両属」する国となった。幕府は、中国の文物や情報を得るために、琉球が中国(明・清)と冊封・朝貢関係を結ぶことを黙認した。




日本が琉球に悪いことをしたかのような印象を受ける。
それに15世紀の琉球王国が東アジアの交易の中心だったなど聞いたことがない。
琉球王国をwikipediaから引用すると

最近の遺伝子の研究で沖縄県民と九州以北の本土住民とは、同じ祖先を持つことが明らかになっている。高宮広士札幌大学教授が、沖縄の島々に人間が適応できたのは縄文中期後半から後期以降である為、10世紀から12世紀頃に農耕をする人々が九州から沖縄に移住したと指摘[2] するように、近年の考古学などの研究も含めて南西諸島の住民の先祖は、九州南部から比較的新しい時期(10世紀前後)に南下して定住したものが主体であると推測されている。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%90%89%E7%90%83%E7%8E%8B%E5%9B%BD

とある。
薩摩藩が琉球で悪政をしいたとは聞いたことがないし、琉球語は日本語の一方言ともいわれているし、今現在沖縄は日本なのだし、パネルの表現は不自然だ。




展示2
R0024752アジアの中の縄文文化

アジアの中の縄文文化
縄文人は、植物の採取・動物の狩り・魚とりで生活していた。金属器を知らず、石の刃物を使い骨・角谷木の道具もたくさんもっていた。4500〜3250年前(縄文時代後期)のころ、中国では青銅器を作り、農耕社会が発達して最初の国を作っていた。縄文文化は、大陸からの影響を受けることが少なく、基本的には独自性の強い食料採集民の文化である




世界最古の土器と漆器と玉器と貝塚をもち、栗や陸稲を栽培していた縄文人をバカにするなといいたい。
1万年以上前の漆の枝が見つかったそうだけれど、漆器を作るためにはまず漆の木の管理が必要で、すぐに固まる樹液の採取には技術が必要で、漆の精製には濾過するための布が必要で、漆塗には刷毛が必要だ。布や刷毛が1万年前にあるということがどういうことか考えてほしい。
さらに日本の漆器は特権階級のものではないとのこと。そして飢えた状態の社会の産物ではないこと。衣食住に余裕があって生まれた技術であることも重要だ。

弥生時代の絹も特権階級のものでないと聞く。
現代日本のハイテク家電も特権階級のものでない。
日本列島に住む人々は縄文の昔から(たぶん旧石器時代から)同じなのだと思う。



展示3
R0024818弥生人の道具

弥生人の道具
弥生時代には、刃の先まで木でできた鍬・鋤などの農具や、青銅(銅に錫を加えた合金)・鉄・石で作った剣・戈・矛・矢じりなどの武器が、新たに出現した。青銅器は初めは武器と祭器に用いた。鉄器は、最初は石器とあわせ用い、2世紀になると、ほぼ石器にとってかわった。青銅器・鉄器の原料の大部分は、朝鮮半島や中国に頼っていた。



これはひどい。
魏志倭人伝(2世紀)に「倭人が半島南部で鉄を採っていた」とあるのだからそう書くべきだ。
このパネル以外にも稲の来た道も半島経由だったし、日本の文化文明は朝鮮半島から来たと印象づけるのはやめてほしい。





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コメント

[C15]

歴民博は存在そのものが遺跡の破壊ですね。恥遺産です。

[C16]

コメントありがとうございます。
前回訪れた時も同じ展示だったと思うのですが、気がつきませんでした。
意識の変化で同じものが違って見えることに気をつけたいと思います。

謙遜なのか自己否定なのかわからない表現は歴博に限らずあると思います。
こんなヘンな傾向がなくなることを願って、自分にできることを少しずつですがやっていきたいと思っています。
  • 2011-12-21 21:00
  • ざる
  • URL
  • 編集

[C92]

全体的にはどうかと思いますけど、15世紀の琉球は東アジアの交易の中心…かはしりませんが超重要拠点なのは確かですよ。
琉球の黄金時代、明の海禁政策の落とし子、琉球貿易。(明が琉球を迂回して貿易)ポルトガルが東アジアにやってきたり明が海禁政策緩和するまでは。明も明らかに琉球を貿易ハブとして優遇していましたから(明が琉球に貿易窓口役を求めていた)

[C93]

コメントありがとうございます。
はげみになります。

コメントをいただいてWikipediaの「海禁」「琉球王国」を読んだのですが、琉球が「超重要拠点」とは思えません。

海賊による交易が大半だった当時、いわゆる朝貢貿易による経済力が大きかったとは思えません。
実際、Wikipedia「明史」をみると朝鮮・日本・ベトナムは巻として纏められていますが、琉球はフィリピンその他の国と一緒の扱いです。

それに、もし琉球が「超重要拠点」であったなら密貿易者が手を出していたでしょう。そういうことだと思います。
  • 2018-03-19 02:29
  • ざる
  • URL
  • 編集

[C96]

今晩は。かなり古い記事へのコメントでしたが、Wikipの海禁項まで読んでいただいた上お返事頂きありがとうございます。参照頂いた中で琉球貿易について垣間見えるのは『海禁』記事の「海禁の影響」辺りでしょうか。Wikipで一番詳しいのはそのものずばり、「琉球貿易」の頁でしょうか。それにしても、最盛期についての記載は少なく、最盛期を過ぎ、陰りを見せ始めた理由やその後の方が圧倒的に記載量が多いのですが…日本が関わってるの、陰りを見せ始めたあたりからだから仕方がないんでしょうか。歴代琉球王の頁も、さらっと一行記載がある位ですね。根本的に情報量少ないので 一行記載がある=それだけ超重要 なのかもしれませんが。

明にとっての重要性はさておき、琉球(沖縄本島)の重要性は朝貢貿易だけでは分かりませんね。中国<>琉球だけでなく 日本<>琉球 東南アジア<>琉球 を繋ぐ貿易ハブなので同時期の重要拠点なのです。また、Wikipには1年1貢と書いてありますが、当初は回数制限がなく、最盛期は安定して毎年ほぼ3貢していますので、明にとっての重要性という意味でも(そして琉球が明との朝貢貿易で得ていた利益という意味でも)Wikipだけだと殆ど分からないと思います。

明史は、多分列伝第二百十一 ~二百十三(東南アジア域)を纏めて考えた方が良いんじゃないかな。その代表格として第一に上がるのが琉球。
明史が編纂された時期には、既に琉球が没落済(編纂時なら琉球より重要な場所多数)なのにも関わらずその位置にある事を考えると、明の外交関係上、歴史的視点からかなり重要視されていると思う。

ちなみに琉球貿易で密貿易は無理ですね。正確には旨味がない。琉球が利を上げるのに重要なのは地理条件ではなく、明から提供された船や、朝貢貿易の優遇条件そのものですから。密貿易者は明の軍艦を使えないし、明の朝廷に朝貢して献上分以上の褒美を貰うのもできない。同じ航路を使ったところで、琉球王国の正規貿易じゃないと旨味少ないんですよ。というか、まず民間の船じゃ同じ航路使うのが結構難しい筈。
その辺の優遇条件がない密貿易なら、多分地理的に台湾あたりを拠点にした方が儲かります。現に台湾、倭寇の拠点でしたし。ちなみに、琉球船は海賊の獲物として狙われてはいました。(琉球船側も海賊対策に武装していました。)
欧州が東アジアに本格進出する前は、明の軍艦を貿易用に使っている琉球が技術レベルで抜きんでているんですよ。(オランダやポルトガルがやって来たら競けて衰退します)少なくとも同時代の日本製の船で琉球航路渡るのは無理です。
集積地を作る事によって品が勝手に集まる現代の貿易ハブ(シンガポール的な)と違って、琉球は海輸を自力で行ってますからね。相手国にとっては琉球国が代わりに航海してくれる系のサービスです。琉球王国がやっていた貿易で、琉球の民間の商人がやっていたんじゃないんですよ。朝貢部分をさておいても、船がないから参入できない。


web上の参照ページとしては

http://www.ryukyu-history.com/ryukyu-history
個人HP『琉球王国・沖縄の歴史を学ぼう』より「琉球王国がしていた中継貿易とは?」

https://www.teikokushoin.co.jp/journals/history_world/pdf/201201/07_hswhbl_2012_01_p10_12.pdf
(帝国書院HPより 帝国書院刊『高等学校 世界史のしおり2011年3学期号』掲載「琉球が動かした世界史 -15世紀の東・東南アジア交易-」 )/post-40
琉球王国がしていた中継貿易とは?


https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/155232/1/jor057_4_587.pdf

京都大学学術情報リポジトリより 書誌情報『東洋史研究 第57巻 4号』掲載「明朝における朝貢國琉球の位置附けとその變化 : 一四・一五世紀を中心に」 岡本, 弘道

辺りでしょうか?
  • 2018-03-23 22:51
  • 92
  • URL
  • 編集

[C97]

丁寧なレスありがとうございます。
紹介していただいたサイトを見ましたが(岡本氏のは長いのでパスm(_ _)m)、「琉球が栄えていた」と考えたい人達がいるように感じました。

一方わたしは「栄えていたはずがない」と考えたいフィルターがかかっているのかもしれないです。
第一、王朝が栄えていたなら当時の工芸品が王宮や王の墓から出土してしかるべきだと思うのですが、聞いたことがありません。

明の朝貢貿易は国家財政を圧迫したので永楽帝没後は行われず、鄭和の公式記録はすべて破棄されたそうです。
そのあたりを分かりやすく解説している動画があります。

中国・東アジア⑩ 明(〜銀の流入)
https://youtu.be/Mo-R4XSepec
朝貢貿易については27分50秒から
海禁については40分から
  • 2018-03-25 22:42
  • ざる
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