Entries

右と左の歴史観3

前回のラスト3投稿を重複して続きます。


Re: 文字と文化 2010/ 1/15 11:17 [ No.11008 / 19685 ]
投稿者 :rosskemp09

>韓国語の影響が日本語にないのはなぜですか?

 日本も朝鮮も、文明の黎明期には漢字文化を中心にすえた。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%83%E5%AD%97%E6%96%87

 こういうものが当時の朝鮮で積極的に導入され、朝鮮を通じて日本にも伝わった。日本ではこうして得た漢字を基礎に、かな文字を作り出した。

 日本語が漢字かな文字を使うこと自体が、古代の日本が中国と朝鮮の影響を受けたかという証拠であるな。





Re: 文字と文化 2010/ 1/18 2:58 [ No.11059 / 19685 ]
投稿者 :hituji3386

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%83%E5%AD%97%E6%96%87
 こういうものが当時の朝鮮で積極的に導入され、朝鮮を通じて日本にも伝わった。日本ではこうして得た漢字を基礎に、かな文字を作り出した。<

隋書の「新羅や百済は皆、倭を大国で珍物が多いとして、これを敬仰して常に通使が往来している。」をどう解釈していますか?
http://members3.jcom.home.ne.jp/sadabe/kanbun/wakoku-kanbun9-zuisho.htm


「千字文」については、王仁が伝えた「文字」のことだと考えています。
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835208&tid=ffckdc8la4n5af8bb&sid=1835208&mid=7592&thr=7553&cur=7553&dir=d





Re: 文字と文化 2010/ 1/18 11:53 [ No.11067 / 19685 ]
投稿者 :rosskemp09

>隋書の「新羅や百済は皆、倭を大国で珍物が多いとして、これを敬仰して常に通使が往来している。」をどう解釈していますか?

 外交ですよ。当時東アジアは、中華帝国を中心に回っていた。半島の三国は、隋唐と合従連衡を繰り返していた。しかしそう簡単に隋唐の言いなりになるのも、独立国としては面白くない。
 例えば百済にしても、一国では対抗すべくも無いが、同盟国があればある程度ものも言える。
 そこで日本の存在が大きくなる。百済も新羅も、隋唐に対して、日本の存在をほのめかす。隋唐としては、日本のぶんだけ百済新羅に対して譲歩せざるを得なくなる。
 まあそういうことですね。

>「千字文」については、王仁が伝えた「文字」のことだと考えています。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8E%8B%E4%BB%81

 王仁は、応神天皇の求めに従って渡来し、皇族の教師となって漢籍を講じた。もちろん対中国外交の重要性を考えれば、天皇家の一員としては絶対不可欠の素養だし。その教師を百済から招聘したのは、当然の話だね。

 千字文は、そのためのテキストだったわけだ。






Re: 文字と文化 2010/ 1/19 4:30 [ No.11095 / 19700 ]
投稿者 :hituji3386

>百済も新羅も、隋唐に対して、日本の存在をほのめかす。隋唐としては、日本のぶんだけ百済新羅に対して譲歩せざるを得なくなる。<

意味が分かりません。



「千字文」と「王仁」の話に移る前に確認しておきたいのですが、
rosskemp09さんは、白村江を戦った倭は九州の倭とお考えですか、畿内の倭とお考えですか?





Re: 文字と文化 2010/ 1/19 8:20 [ No.11104 / 19700 ]
投稿者 :rosskemp09

 わからないかね?
 ざっくり言ってしまえは、当時の東アジアには、隋唐といった中国の帝国と三国(新羅、高句麗、百済)と倭の国家があった。それらが互いに関係を持っていた。その力関係は、変動している。
 隋書が描く時期には、百済、新羅は倭をバックにしていたということですな。

>rosskemp09さんは、白村江を戦った倭は九州の倭とお考えですか、畿内の倭とお考えですか?

 当時の倭の全域から動員されたはずだ。唐との決戦だからね。阿曇比邏夫は九州だろうし、阿倍比羅夫は北陸の軍団長。狭井連檳榔は大和だし、朴市秦田来津は近江だし。







Re: 文字と文化 2010/ 1/20 13:44 [ No.11132 / 19700 ]
投稿者 :hituji3386

>隋書が描く時期には、百済、新羅は倭をバックにしていたということですな。<

>>rosskemp09さんは、白村江を戦った倭は九州の倭とお考えですか、畿内の倭とお考えですか?
 >当時の倭の全域から動員されたはずだ。<


百済と新羅は戦っていたのに、両国とも倭に人質を出したり、援軍を要請したりしていたのですか?

たしかに日本書紀にはそのように書いてあります。
しかし朝鮮戦争でもベトナム戦争でも南北ともにアメリカをバックにするなどありえません。


戦っていた百済と新羅が、両国とも倭をバックにしていたのはなぜですか?






Re: 文字と文化 2010/ 1/20 16:07 [ No.11138 / 19700 ]
投稿者 :rosskemp09

>戦っていた百済と新羅が、両国とも倭をバックにしていたのはなぜですか?

 隋、唐という中国と、高句麗、新羅、百済と倭は、常に戦争をしていたわけじゃない。戦ったり、和したりと、その関係は常に変動していた。そして戦っていた時期より、戦わずに一定の距離を保って外交関係を持っていた時期のほうが長い。

 倭(日本)は、当時あらゆる国から渡来人を受け入れていた。そこが東アジアにおける日本の外交的な武器になった。






Re: 文字と文化 2010/ 1/21 13:47 [ No.11155 / 19700 ]
投稿者 :hituji3386

いつもサクサク返事をいただくのにこちらはトロトロしていてすいません。

> 隋、唐という中国と、高句麗、新羅、百済と倭は、常に戦争をしていたわけじゃない。戦ったり、和したりと、その関係は常に変動していた。そして戦っていた時期より、戦わずに一定の距離を保って外交関係を持っていた時期のほうが長い。<


話を続けるために
rosskemp09さんの歴史観を教えてください。

中国は魏呉蜀→晋→南北朝→隋→唐と変化し、
半島は馬韓、弁韓、辰韓→新羅、百済、任那と変化していた時代、
倭は何世紀に九州から畿内まで統一して、新羅・百済を攻めたり、王子を人質に取ったりしていたのですか。

百済・新羅を合わせた面積は、九州から畿内まで統一した倭の面積の半分以下でしょう。
倭の半分以下の面積を新羅が統一したのは白村江の後、7世紀です。


もうひとつ。
任那は倭人の国ですか? 百済人あるいは新羅人の国ですか?





Re: 文字と文化 2010/ 1/22 7:58 [ No.11163 / 19700 ]
投稿者 :rosskemp09

>倭は何世紀に九州から畿内まで統一して、新羅・百済を攻めたり、王子を人質に取ったりしていたのですか。

 統一という言葉は、適切ではないと思うが。まず4世紀でしょうな。5世紀の倭の五王の時代に入れば、確実だが。

>任那は倭人の国ですか? 百済人あるいは新羅人の国ですか?

 任那人だよ。一応は、倭の支配下だったろうが。百済や新羅にも属そうとせず、倭と結んでこれらと対抗しようとした地域だと思います。






Re: 文字と文化 2010/ 1/23 8:21 [ No.11169 / 19700 ]
投稿者 :hituji3386

>統一という言葉は、適切ではないと思うが。まず4世紀でしょうな。5世紀の倭の五王の時代に入れば、確実だが。<

了解です。
天誅さんが古墳時代を「ゆるい連帯」といいますが、この表現には同意です。
rosskemp09さんも、ゆるい連帯の中心が畿内にあって、畿内が東海〜九州をコントロールしていたとお考えなのかもしれません。

わたしはそうではなくて、以下のように考えています。
古墳時代の日本列島にはたくさんの独立した豪族がいて、特に大きな国が太宰府と畿内にあった。
両国は言葉もある程度通じて、ゆるい連帯関係にあった。そういう状態が大化改新まで続いた。

こういう状態だったら、百済が太宰府の倭に、新羅が畿内の倭に結びついても不思議はありません。
しかし畿内が東海〜九州をコントロールしていた場合、百済と新羅が同じ倭国に通じるのはおかしいと思うのです。
・・・これは思う思わないの世界なので、rosskemp09さんが「常に戦争をしていたわけじゃない。」のだからおかしくない思うのは仕方ないです。




>任那人だよ。一応は、倭の支配下だったろうが。百済や新羅にも属そうとせず、倭と結んでこれらと対抗しようとした地域だと思います。<

「日本列島にたくさんの独立した豪族がいた」という立場から任那にもある程度の独立性を認めます。
ただし、任那は倭に鉄を供給するための国なので、任那人(の支配階級)は倭人であり、倭の鉄を牛耳っていた太宰府が任那を支配していたのが基本です。わたしの場合は。


rosskemp09さんのいう「任那人」というのはどういう由来の人なのですか?





Re: 文字と文化 2010/ 1/23 14:04 [ No.11175 / 19700 ]
投稿者 :rosskemp09

>古墳時代の日本列島にはたくさんの独立した豪族がいて、特に大きな国が太宰府と畿内にあった。
両国は言葉もある程度通じて、ゆるい連帯関係にあった。そういう状態が大化改新まで続いた。

 北九州と近畿の2大政権の並立?なぜ、そう考えるのですか?

>しかし畿内が東海〜九州をコントロールしていた場合、百済と新羅が同じ倭国に通じるのはおかしいと思うのです。

 両国は、時期によって戦ったり、友好関係にあったりして、和戦の間を行きつ戻りつしながら、百年以上も並立している。それに高句麗も加わって、三国時代が何百年も続いたわけだ。そこへ倭国が一つ加わっただけ。

 中国の春秋戦国時代や、日本の戦国時代だって同じようなもの。複数の国が合従連衡を繰り返しながら、共存していた。中立的な立場で、敵対する国家間を取り持っている存在もある。つまり倭が新羅、百済(ついでに高句麗)と通じていても、歴史的に見てなんら不思議ではない。

>rosskemp09さんのいう「任那人」というのはどういう由来の人なのですか?

 漢の四郡にいた漢民族の残党、半島に古くから居た土着部族、列島から渡って土着した倭人らだね。もとの弁韓地方に居住する人間の総称だ。






Re: 文字と文化 2010/ 1/25 4:21 [ No.11194 / 19700 ]
投稿者 :hituji3386

>北九州と近畿の2大政権の並立?なぜ、そう考えるのですか?<

【理由1】日本には「中国地方」というのがあります。九州と飛鳥の中の国だからです。
・・・と書いてから確認のためにググったらいろいろありましたwww

ちょっと長いですが↓ここは「九州と飛鳥の間の国」説が優勢です。
http://uub.jp/arc/arc.cgi?N=19


【理由2】7世紀に畿内倭国が九州倭国に取り込まれたと考えると、畿内と九州に地名の相似形があるのも頷けます。

第三章  神話のなかの地名
     図7 大和郷のまわりの地名
     図8 夜須町のまわりの地名
http://yamatai.cside.com/tousennsetu/yasumotosetu3.htm


【理由3】7世紀以前の九州倭国には、畿内に従属するメリットがありません。

【理由4】壬申の乱の舞台は太宰府を中心とするものだったと考えると矛盾が無くなります。
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&board=1835208&tid=bdbb5hbgbcra4h0kc0aaa4nbfc05dc&sid=1835208&action=m&mid=8957

【理由567…】省略w



>中国の春秋戦国時代や、日本の戦国時代だって同じようなもの。複数の国が合従連衡を繰り返しながら、共存していた。中立的な立場で、敵対する国家間を取り持っている存在もある。<

ですよね。ですから新羅が半島を統一する7世紀頃、日本列島の西半分も統一したのではないかと思うのです。


>つまり倭が新羅、百済(ついでに高句麗)と通じていても、歴史的に見てなんら不思議ではない。<

倭が2つあったと考えてれば、なお不思議はないです。m(_ _)m



>>rosskemp09さんのいう「任那人」というのはどういう由来の人なのですか?
 >漢の四郡にいた漢民族の残党、半島に古くから居た土着部族、列島から渡って土着した倭人らだね。もとの弁韓地方に居住する人間の総称だ。<

同感です。
このうち支配階級はどのグループだったとお考えですか?





Re: 文字と文化 2010/ 1/25 10:46 [ No.11195 / 19700 ]
投稿者 :rosskemp09

>ちょっと長いですが↓ここは「九州と飛鳥の間の国」説が優勢です。
http://uub.jp/arc/arc.cgi?N=19

 読んだけど、別に優勢というわけでもないな。それに中国地方という名前が文献上現れるのは、14世紀だそうだ。とすればその呼称の起源を、大化の改新(7世紀)以前に求めるのは、ちょっと無理だな。

>7世紀に畿内倭国が九州倭国に取り込まれたと考えると、畿内と九州に地名の相似形があるのも頷けます。

 地図でプロットしてみればわかるが、それほど相似形にはないよ。

>壬申の乱の舞台は太宰府を中心とするものだったと考えると矛盾が無くなります。

 これだけ?当時の交通事情は?奈良盆地に入れば、平野を貫き直線路(上ツ道等)がある。しかも天智天皇からの追手を危惧しながらの逃避行なわけだよ。強行軍は当然だろう。「壬申の乱の舞台は太宰府を中心とするものだったと」?
 
 まさかたったこれだけの理由で?他にもっとましな根拠は無いの?

>このうち支配階級はどのグループだったとお考えですか?

 どれでもいいよ。日本列島と大陸は、紀元前からつながっていたから、任那の指導的立場にあったグループは、何族であれ倭国の指導者とつながっていた。






Re: 文字と文化 2010/ 1/25 11:54 [ No.11196 / 19700 ]
投稿者 :rosskemp09

>【理由2】7世紀に畿内倭国が九州倭国に取り込まれたと考えると、畿内と九州に地名の相似形があるのも頷けます。・・・【理由4】壬申の乱の舞台は太宰府を中心とするものだったと考えると矛盾が無くなります。
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&board=1835208&tid=bdbb5hbgbcra4h0kc0aaa4nbfc05dc&sid=1835208&action=m&mid=8957

 とするとだよ。壬申の乱に出てくる地名と、九州の地名、地形にも当然相似形が無ければおかしいよね。これはどうなのかな?






Re: 文字と文化 2010/ 1/26 6:51 [ No.11205 / 19700 ]
投稿者 :hituji3386

>>北九州と近畿の2大政権の並立?なぜ、そう考えるのですか?<

という問いに答えたのですが

>ちょっと無理だな。
>それほど相似形にはないよ。
>もっとましな根拠は無いの?

と賛同してもらえなかったのは仕方ありません。
わたしの意見です。説得しようとは思っていません。


半島南部の支配階級について

>どれでもいいよ。

それなら仕方ありません。






Re: 文字と文化 2010/ 1/26 9:21 [ No.11208 / 19700 ]
投稿者 :rosskemp09

>半島南部の支配階級について
>>どれでもいいよ。
>それなら仕方ありません。

 どうして百済人だとか、新羅人だとかに拘るのかな?半島は紀元前から漢など中国の直轄領土だった。そして漢民族の勢力が退潮して、半島に居住する勢力がその後をうずめた。新羅にしろ百済にしろ、その地方の勢力家が台頭した。
 任那では、ぬきんでた勢力家が出なかった。そして独自の王朝ではなく、倭と結んで、新羅にも百済にも併合されない道を選んだに過ぎん。倭と安全保障条約を結ぶにあたって、その交渉主体が何族だったか。今となっては判らない。
 倭系任那人かもしれないし、新羅人に近い任那人かもしれないし、百済地方の人間と近い勢力かもしれない。または漢人の末裔かもしれない。そのどれにしろ、百済にも新羅にも併合されることを拒否した任那人であることに変わりは無いし、それで十分でしょう。
 ただいえるのは、倭にとっても彼らと結ぶことに利益を見出していたから、先進の中国文化を身につけた部族であったでしょうね。






Re: 文字と文化 2010/ 1/28 5:59 [ No.11213 / 19700 ]
投稿者 :hituji3386

>ただいえるのは、倭にとっても彼らと結ぶことに利益を見出していたから、先進の中国文化を身につけた部族であったでしょうね。<

半島南部の遺跡に倭系遺物が多く、前方後円墳があるのは任那を含む半島南部を支配していたのが倭人だったからです。
倭系遺物が九州系なので、任那を納めていたのは九州系倭人です。
好太王の碑文や隋書にもそのように書いてあります。


》2004年版米国プレンティスホール出版社の世界文化教科書は「日本が韓国南部の小さい地域を統治した」として、「任那日本府説」を既定事実化しており・・・《
http://www.worldtimes.co.jp/kansok/kan/shakai/091006-2.html

アメリカの教科書が「任那日本府説」をとっているのは、外から冷静に眺めた結果です。





Re: 文字と文化 2010/ 1/28 8:37 [ No.11214 / 19700 ]
投稿者 :rosskemp09

 その広開土王碑文によれば、4世紀終わり頃に倭が半島に上陸した。以後百済新羅を挟み、倭と高句麗が対峙。さらに新羅と百済も、時には和し、時には戦った。任那は、半島でも倭色の強いエリアだったということですな。
 様々な部族が混在し、その中で倭系が最も強いってことでいいだろ。
 でもって、5世紀に日本を支配し、対中国外交を行ったのが、倭の五王。河内に巨大な前方後円墳を築いた大王。 

 いずれにしても東南アジアとは関係ない話だけどね。






以上、ひとつのスレッドを4回に分けて纏めてみました。
このあとしばらくしてヤフー掲示板から遠のいてしまうのですが
本当によい勉強になりました。




.


関連記事
スポンサーサイト



この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
http://zaru3386.blog.fc2.com/tb.php/100-289acb2e

トラックバック

コメント

コメントの投稿

コメントの投稿
管理者にだけ表示を許可する

Appendix

プロフィール

ざる

Author:ざる
ganko*k8.dion.ne.jp(*→@)
リンク・引用:フリー(連絡不要)
書籍やネットからの引用文は
緑色にしています。

アップ後1ヶ月以上経った記事の変更は追記にしますが、アップ後数日の記事はことわりなく修正する事が多いです。

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード

QR