Entries

釜山の倭館

2005年に釜山を中心に朝鮮半島南部を回った。一日目、釜山の龍頭山公園(@wikipedia)にそびえる釜山タワーに登った。 釜山の港を見下ろす丘が龍頭山公園だ。ここに江戸時代、倭館(@wikipedia)があったという。港を見下ろす一等地に倭館があった。それは当時、釜山を支配していたのが日本だったというに等しいのではないだろうか。鎖国政策をしていた日本の対馬藩が釜山を治めていたのではないだろうか。「釜山でお昼を」とい...

勒島遺跡 1

2005年に釜山を中心に朝鮮半島南部を回った折り、勒島に行った。というか勒島が釜山旅行の目的のひとつだった。鳥取県埋蔵文化財センターの「ト骨集積に見る深い関わり」を読んだからだ。>勒島遺跡からは、青谷上寺地遺跡から発見された卜骨集積遺構と同じものが見つかっている…(中略)…勒島は豆粒のような小さな島ですが、ここから出土した土器の量は膨大で、韓国全土で出土した同時代の土器の総量の約十分の一に当たる<http://w...

勒島遺跡 2

勒島遺跡は紀元前後のものだ。倭人伝によると、その頃、倭人が朝鮮半島で鉄を採っていたという。実際、半島南部の遺跡には九州北部と共通するものが多い。九州北部の国は半島の鉄を採って畿内へ供給することで潤っていたと考えている。一方、勒島には鳥取県青谷上寺地遺跡と共通する卜骨集積遺構があるだから、出雲系の倭人たちが来ていたのではないか。勒島の倭人は半島本土に住むのを遠慮していたのではないか。なぜ遠慮していた...

九州系倭人と出雲系倭人

勒島遺跡 2 に九州系倭人は朝鮮半島南部で鉄を採っていた。出雲系倭人は九州系倭人に遠慮して勒島にいた。と書いた。九州系倭人とは「太宰府を中心とする邪馬台国の末裔」であり、出雲系倭人と緩い連繋を保ちながら7世紀までそれぞれ独立した存在だった。半島の鉄が採れない出雲系倭人は4〜5世紀、砂鉄製鉄を発明した。九州系倭人である素戔嗚尊が出雲を平定した時、八岐大蛇がもっていた草薙剣は砂鉄製鉄の賜物だ。九州系倭人...

九州系倭人による東日本統一

九州系倭人と出雲系倭人の続き出雲系倭人が優れた砂鉄製鉄を開発すると当然、半島の重要性は弱まる。それでも九州系倭人は新羅・任那の反乱分子に手を焼いたり、百済を援助し続けた。しかし663年に白村江で唐・新羅に破れると、潮時とばかりに一気に半島から手を引いた。この時、半島から日本に帰ってきた倭人を日本書紀では「帰化」「来帰」と表わした。もし一般に言われているように、たくさんの百済人が帰化したなら百済語の痕...

三木武夫と三木睦子

倉山満氏が三木武夫について繰り返し解説している。いままで日本の首相だった三木武夫の妻・睦子が「九条の会」の発起人であることが不思議だったのだが夫婦共々・・・なのだと納得できた。民主党は酷い。しかしその母体は自民党だったわけで・・・政治の世界は浮世離れしている。政治はマツリゴト。庶民の生活とは関係ない世界に閉じ込めておきたい・・・『すべては三木武夫の恐怖政治からはじまった①』倉山満 AJER2012.6.1(1)ht...

Appendix

プロフィール

ざる

Author:ざる
ganko*k8.dion.ne.jp(*→@)
リンク・引用:フリー(連絡不要)
書籍やネットからの引用文は
緑色にしています。

アップ後1ヶ月以上経った記事の変更は追記にしますが、アップ後数日の記事はことわりなく修正する事が多いです。

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード

QR