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斉明天皇は九州へ出兵したのだろうか

天皇家は九州にあり白村江の敗戦後、畿内の蘇我王国を乗っ取ったと書いた。そう考えるに至る前、日本書紀の複雑怪奇な構成が不思議だった。盛りだくさん過ぎてスッキリしない。それで、日本書紀は畿内の歴史と九州の歴史のよいとこ取りをしているのではないかと思い始めた。特に不思議だったのが661年、斉明天皇(68歳)の難波から九州への出兵だ。しかも出兵途中、同行した大田皇女が女児を出産している。老女や妊婦が戦地に向か...

九州の仏教と畿内の仏教

■前提 !Σ( ̄□ ̄;)7世紀まで九州の大和国(天皇家)と畿内の蘇我王国が並立していた。九州の大和国は半島南部で鉄を採り、百済と親しく、南朝と交流していた。畿内の蘇我王国は砂鉄による製鉄が開発されて勢力を伸ばし、新羅や高句麗と交流があった。■概要□九州の大和国が取り入れたのは江南の仏教。 日本書紀応神37年「縫工女を求めてアチノオミ、ツカノオミを呉に送る」とあるのは 九州天皇家の逸話。□畿内蘇我王家が導入...

【考古】蘇我馬子邸

【考古】蘇我馬子邸 宮殿並み? 奈良・島庄遺跡 塀跡の大型柱穴列見つかるhttp://unkar.org/r/scienceplus/13605092841 : 一般人φ ★ : 2013/02/11(月) 00:14:44.00 ID:??? (長いので省略) 引用元:東京新聞 2013年2月9日 夕刊 http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2013020902000236.html9 : 名無しのひみつ[sage] : 2013/02/11(月) 00:56:57.26 ID:2OdxKFO6死後改名説をなんかで読んだんことがあるが、 蔑...

帰化人 1

政治世論@もみぞうhttp://momi3.momi3.net/にあった「日教組某県作成の社会科歴史 教科書採点表1」http://momi9.momi3.net/n/src/1368205666279.jpg時間が経つと消えてしまうので保存した。 ↓4. 渡来人「渡来人」が農業生産・文化の発展につくした役割を正しく評価しているか。日本書紀には「渡来」という言葉はなく「帰化」「来帰」「投下」「化来」とある。しかし「先進国から指導者としてやってきた人々を帰化人と呼ぶのは不...

帰化人 2

前回、帰化人は朝鮮半島南部から帰ってきた倭人のことだと書いた。しかし帰化人の中には倭人ではない人々もいただろう。倭人でない帰化人はどのくらいいただろうか。帰化人の一覧を書き出したサイトを見つけた。自分で書きだした一覧よりずっと分かりやすいので引用許可をいただいた。ただブログは1行の文字数が少ないので勝手に改行してしまった。元データはリンクで確認していただきたい。史跡巡りのための予備知識>渡来人の入...

帰化人 3

「倭人でない帰化人は少なかった」と思う根拠は他にもある。Wikipediaによると日本書紀が「帰化人」を表す言葉は「帰化」「来帰」「投下」「化来」があるという。 参考:渡来人@Wikipedia    帰化@Wikipediaそこで帰化人一覧の原文を確認してみた。すると日本書紀は「帰化」という言葉を使っていなかった。日本書紀の「投下」「化来」は倭人ではない人の倭への移民だろうが「復以」は「戻ってきた」の意味ではないか。そう...

埴輪

埴輪@Wikipediaによると埴輪の起源は、弥生時代後期後葉の吉備地方から出土する特殊器台・特殊壺だという。 房総風土記の丘そうだろうか。弥生時代後期に人形の素材が木から素焼きになったのではないだろうか。なぜなら東南アジアには広く死者を弔う様々な素材の人形があるからだ。東南アジアに限らないだろう。故人を偲んで周りに人形を置く心情は世界共通だと思う。墓の周囲に並んだ人形は風雨にさらされる。日本の場合、木の...

大和朝廷太宰府説 1

卑弥呼は大宰府にいた。大宰府政庁で政務を行い卑弥呼の弟が補佐していた。卑弥呼の館は大宰府政庁隣の観世音寺にあったのではないか。これは想像だ。漢字の音からもわかるように邪馬台国=大和国だ。卑弥呼の時代から400年後、太宰府に都を置く大和国は皇極天皇が支配し、弟の孝徳と息子の天智が実務を補佐していた。このあたり・・・太宰府の大和国と畿内飛鳥の蘇我王国との関係がスッキリ把握できていないけれど大筋、間違って...

大和朝廷太宰府説 2

なにはともあれ7世紀日本の強大国は九州大宰府を都とする大和国と畿内飛鳥を都とする蘇我王国だった。斉明天皇は即位した642年から崩御した661年までずっと九州大和国の女王として君臨していた。重祚などしていない。しかし記紀にはそう書かなければならない理由があった。持統天皇の孫、文武天皇の正統性を主張するためだ。645年に九州大和国は蘇我蘇我王国を乗っ取った。いわゆる大化の改新だ。なぜ乗っ取ったか。九州大和国は半...

大和朝廷太宰府説 3

九州大宰府を都とする大和国がダサい畿内を乗っ取った理由は鎌足がけしかけたからだ。鎌足は常陸国鹿島の生まれだという。 →鎌足と不比等がネック そして古代東日本には独自の製鉄技術があった。 →縄文の石刀と蕨手刀  鉄のリサイクル東日本は縄文時代にすでに鉄刀を作っていた可能性がある。出雲の砂鉄製鉄は東日本の技術を取り入れて開発されたのかもしれない。 * * *常陸国出身の鎌足が出雲国や畿内蘇我王国を倒そう...

大和朝廷太宰府説 4

敵同士の新羅と百済が同じ国の属国になり一緒に儀式に参列するのはヘンだと思う。実状は百済は太宰府大和国に隷属し、新羅は畿内蘇我王国に隷属していたのだろう。そう考えると色々納得できる。敵対していた百済と新羅が「同じ倭国」に人質として王子を出すわけがない。武寧王が「筑紫の各羅嶋」で生まれたのは百済が太宰府大和国の保護国だったからだ。日本書紀には596年、飛鳥寺に高句麗僧慧慈と百済僧慧聡がいたとある。不仲だ...

大和朝廷太宰府説 5

斉明天皇重祚のカラクリ。乙巳の変の後、太宰府大和国は畿内に皇極の弟孝徳天皇と天智の妹間人皇女を派遣した。孝徳天皇は都を難波に遷し、畿内を上手く治めた。姪の間人皇女が本当に皇后だったか疑問だが畿内の阿倍内麻呂の娘と蘇我倉山田石川麻呂の娘を妃とし、二人を大臣にした。天智にクーデターを進言した鎌足は摂津から孝徳の施策に干渉した。 * * * * *一方、大宰府には相変わらず皇極天皇が君臨し、息子の天智が...

古代妄想

2世紀の日本の人口は600万人で、邪馬台(ヤマト)国は太宰府にあった※1太宰府大和国の倭人が朝鮮半島で鉄を採っていた大和国は雲南の滇国と同等の勢力があり金印を少なくとも2度受けた太宰府の大和国と畿内の蘇我帝国は姻戚関係にあり畿内の古墳にある阿蘇ピンク石の石棺は太宰府から来た嫁や婿に使われていた * * * * *4世紀以降の畿内は、山陰山陽で砂鉄製鉄が確立して潤い巨大古墳時代となったが大宰府の大和国には陰...

珍敷塚古墳の太陽の船

前回、エジプトの暦デカンについて触れた。難しくてわからないけれど、便利な暦法は周辺に伝わっただろう。馬車が発明される前、陸を移動するより海上を移動するほうが容易かった。ダブルカヌーがあれば、家族が家具を持って移動できる。実際3万年以上前、高原山遺跡の日本人は外洋交易を行っていた。 →古代日本人の航海術  記紀にみえる帆船 ※ ※ ※ ※ ※何が言いたいかというと珍敷塚古墳。エジプトにそっくりな壁画がある...

古代の天皇と神道と仏教

天皇は八百万の神の一柱で日本を支配するために天から降りて来たと記紀にある。という理解で間違いないと思うのだが、そうすると理屈が通らないのが天皇と神道と仏教の関係だ。馬子の娘婿でもある崇峻天皇は、仏教に積極的な蘇我氏と対立していた。592年、崇峻天皇は蘇我氏に殺されたが、神を殺した馬子にお咎めはない。天皇が日本を支配する正当性を説いた日本書紀が、馬子を罰せられなかった。馬子の子の蝦夷が乙巳の変、いわゆ...

平安時代の歴史観

平安時代、日本書紀の講義があったという。>721年(養老5年)に最初の講筵に行われたが、これは『日本書紀』完成を祝したものと考えられ、後世のものとやや趣が異なっていると見られる。その後、812年(弘仁3年))・843年(承和10年)・878年(元慶2年)・904年(延喜4年)・936年(承平6年)・965年(康保2年)に計7回行われたことが知られている。日本紀講筵@Wikipedia日本書紀は、完成された直後から大学で歴史書として採用...

天智と天武の関係

前回の続き 結局邪馬台国はどこにあったのか http://hayabusa3.2ch.sc/test/read.cgi/morningcoffee/1492945490/ 43 :名無し募集中。。。@\(^o^)/:2017/04/23(日) 23:22:53.91 0.net山幸彦海幸彦は日向 三代後が神武天皇 その通り。そして山幸彦と海幸彦の神話は壬申の乱を比喩している。山幸彦は天武であり、海幸彦は天智である。一方、海神の娘たちと結婚した部分において、海神は天智であり、娘達は大田...

不思議に思うこと

日本にインド人やペルシャ人が来ているのに日本人が行った記録がないそれが不思議だ東大寺の開眼供養(752年)はインド生まれのインド僧だった空海(774-835)が遣唐使に加わったのは804年、30歳のときだ本気で仏教を学ぶなら西安ではなくインドに行けばよかったのにと思う....

楯築遺跡の石柱

 楯築墳丘墓(Wikipediaより) インドネシア タナ・トラジャ ボリの葬祭広場 タナ・トラジャ 散歩途中で見た石柱(下は墓域)フィリピン バナウェ ポイタン村の石柱 台湾 卑南遺跡 先史博物館脇の石柱と説明文環太平洋地域に多い風習だと書かれている環太平洋は敬語のある地域でもあるこの記事を書いている途中興味深いブログを発見した タナ・トラジャの石柱と種子島 ...

楯築遺跡の弧帯文石

旋帯文石(複製品)(Wikipediaの写真を見やすく加工) 2009年、NY メトロポリタン美術館でこの石を見た時、楯築遺跡の神石(亀石)を思い出した。  正面の雰囲気は違うけれど、大きさや側面の様子はよく似ている。説明文に「イサバの祭壇」とある。イサパは紀元前200年 - 50年頃のメキシコの遺跡だ。メトロポリタン美術館の石と対の祭壇上の写真はWikipediaのものだが別角度の画像もある。↓ここのAltar 53.だ...

Appendix

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ざる

Author:ざる
ganko*k8.dion.ne.jp(*→@)
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