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皇室と宗教 2

聖武天皇はなぜ「国分寺建立の詔」を発布したのだろう。

神道が日本固有の宗教だというのなら神道を第一にすべきだろう?
伊勢神宮の分詞を全国に作らせればいいじゃないか。


天皇が奉る神道は天武天皇の系譜である日向の地方神だったので関東東北の豪族に強制するのは無理だったのかもしれない。
だから仏教というインドの宗教、哲学的な経典と光り輝く仏像とエキゾチックな伽藍を広めた後、神仏習合で有耶無耶になったのかもしれない。


 * * *


そもそも「国分寺建立の詔」の150年前、蘇我氏と物部氏による仏教と神道の戦いで仏教側が勝ったのは天皇の系譜を綴る日本書紀として問題ないのだろうか?


結論から言えば問題ない。
6世紀は飛鳥に蘇我王国、大宰府に大和王国、日向に天武の系譜があった。
(もちろんその他多数の王国が併存していた)
蘇我氏と物部氏の戦い天武の系譜とは関係ない。

7世紀のいわゆる大化の改新で大和王国が蘇我王国を乗っ取った。
乗っ取った後も天智は母斉明と共に大宰府にいて、叔父の孝徳を畿内に派遣した。

しかし大和王国は百済を助けるため国庫が傾く。
天智は娘4人を日向の天武に嫁がせ協力を仰いだ。

自分の弟に娘4人を嫁がせる親などいるわけがない。
蘇我が何人もの娘を天智に嫁がせたように天智も天武に嫁がせた。

あるいは天武は婿養子として日向から太宰府に遷ったのかもしれない。
財政難とはいえ大和王国は日向国より遥かに大きいのだから。


なぜ天智と天武が兄弟として書かれたのだろう。

トンデモかもしれないが厩戸皇子にキリスト教の影響があるという説がある。
同様に天智天武兄弟にカインとアベルの影響があったのかもしれない。
カインとアベルや海幸山幸神話に限らず兄弟神話は世界中にある。


どもあれ白村江敗戦と壬申の乱を経て天武天皇は東征した。

 * * *

畿内に遷都した天武は蘇我王が持っていた国記に替わる日本書紀の編纂を始めた。
「当初、天照大神は男神だった」説は正しいと思う。

日本書紀の当初の目的は「天武天皇が畿内を治める正当性」を説くことであるから、神は日向に降臨する。

ところが天武の後編纂を受け継いだ持統天皇の目的は「孫の文武が皇位につく正当性」を説くことだった。
天照大神は女神になり、文武が即位したところで日本書紀は終わっている。

聖武天皇は文武の息子である。

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